金曜日の最近のブログ記事
先日行われた箱根駅伝。
ファンではなくてもテレビで見る方々が大勢いるほど、
もうすっかり正月の一部となっている。
今回はこんな状況のなか、感染防止対策のために、
沿道で応援することの自粛が以前から呼びかけられていた。
「応援したいから応援にいかない」
というキャッチコピーを用意する異例の展開。
TVCMも作り、過去の箱根駅伝の有名選手を起用し、
いつにない告知をした。
その結果、
観衆は昨年の121万人から18万人にと、85%減と発表された。
だがテレビ画面では、
観衆が多いと思えるところもあった。
近所の人や興味本位の人たちが集まり、
群がっていたのだろうか。
それでは感染リスクが高まり、
関係者の努力が水の泡になる可能性があることを、
わかっていたのだろうか。
一方で、
運営側は蜜を避けるために、関係者へ通達を出していた。
関わる人は最小限にとどめるようにと。
それによって、
出場校のチームメイトや選手の家族や恩師が
現地で応援できないという、
見るべき人が見られない状況が生まれた。
運営側は、
「市民の方たちが生活している場所(道路)を一時的にお借りして開催しているので、
あまり強い事は言えない」
という趣旨の発信をしていた。
しかし、そのあり方は一考の余地があるように思えた。
「見れた者が勝ち」という現象が成立してしまうのは、
とても心が痛いことだ。
できればこうした状況が、今後起こらないことを願いたい。
ほぼ日のサイトをよく見にいきます。
糸井さんのコラムを筆頭に、
たくさんコンテンツがあって、その豊富さに驚きます。
土鍋の販売だったり、対談記事だったり、
オリジナル地球儀作っちゃったり、
W杯ラグビーに向けて「にわかファン」を歓迎する
ムーブメントを仕掛けたり。。。
ほぼ日と言えば手帳が有名ですが、
ぜ~んぜんそれだけじゃなくて。。。
はたしてどこまで世界を広げるんだろう、
という気さえしてきます。
そんな、なんでもアリな賑やかさと、
想い入れが感じられる熱量がいいなと僕は思うのです。
特にその企画力というか発想力がすごいなと驚きます。
これはおそらく、楽しいことは何でもやってみよう!
という風土があるのでしょうか。
一度でいいから、
どんなふうにやっているのか覗いてみたい。
そんなふうに思うのです。
そんなほぼ日が、神保町に来るという話しは、
以前SNSで知りました。
そうこうしているうちに、
先日、社長が僕のところに来て、
ほぼ日が神保町に来たらしいけど、窓から見えるあそこじゃないか、
と指をさすのです。
なんと、見える位置にあるではありませんか!
その会話が聞こえたのでしょうか。
いつの間にか、周りには他の社員が集まっていました。
社長が指さすビルを見ると、
盛り上がる一同。笑
サイトで検索して、
ビルの印象が一致すると、なお会話が弾む。
こんな近くだったのですね。
ちょっとウキウキした気分になりました。
ほぼ日サイトでは、その移転の様子も、
独自コンテンツにしてしまっていて。。。
何事も楽しいものに見せてしまうその精神、見習いたい。。。
↓
https://www.1101.com/n/s/moving2020
じつは、、、
このブログのお題に困ったときは、
参考にさせてもらっていることは内緒です。笑
オフィスの入口には水槽があり、
熱帯魚が泳いでいます。
世間の忙しなさなど関係なく、
ゆ~らゆら泳ぐ様子を見ていると、
心安らげます。
この熱帯魚のために、
定期的に水槽を掃除しているのは、通称山さん。
ゴムの手袋が違和感がないくらい馴染んでいます。
毎回汗だくになりながら、
この水槽をきれいに保ってくれています。
ある朝、その山さんが水槽を覗きにいくと、
うわずった大きな声で叫びました。
なんと、この熱帯魚に赤ちゃんが生まれたのです。
今まで、社内ではそんなことがなかったので、
一同湧きかえりました。
(誰も「ギョギョッ!」とは言いませんでしたが笑)
社員の今月の誕生日を知らせるボードに、
興奮のあまり熱帯魚の名前を書いてしまったほど、
高揚していました。
手洗いや外出するときには、必ずそこで立ち止まって、
熱帯魚の様子を見入るくらい、
気が気でないのが見て取れます。
もうすっかり飼育員のようです。
山さんは、
本来は印刷物の色を分析させたら右に出る者はいない、
と思えるくらい、
インクの調整を数パーセント単位で見分けられる凄腕の持ち主です。
山さんがこんなにも熱帯魚に魅かれたのは、
もしかしたら、
その色とりどりのところなのかもしれませんね。



先日、オリンピックの聖火を見てきました。
国立競技場の横にあるオリンピックミュージアムで、
先日まで一般公開されていました。
アテネで採火された聖火が日本にやってきたのが3月。
本来ならそのまま全国を巡り、
7月のオリンピックでその役目を果たすはずでした。
しかしオリンピックは延期。。。
聖火はその時がくるまで、
静かにその時を待っています。
決して一旦消したりはしません。

ランタンの中に小さな炎が灯っています。
ライターの火と比べても、
全然変わらない小さな炎。
でも遠くアテネから運ばれてきて、
人の関心を集めるのなんて、なんかいいじゃないですか。
オリンピック好きじゃなきゃ、
そうは思わないですかね?
僕の場合、
できれば、この炎を持って帰りたい。
いや、アテネまで行ってそこで採火して、持って帰ってきたい。
でも家にあったからって、何の役にも立たないし、
どうにかなるワケでもありません。
ただ単純にウチに飾りたい。
その火がずっと灯っている、というただそれだけでいいんです。
でも、火を持って飛行機には乗れないから、
実現性はかなり低いんですが。
延期になったことで1年以上も灯ることになった聖火。
でもただ保管しているなら、
この際みんなに広く見てもらう方がいいと思うのは、
自分だけでしょうか。
でも、上記の写真撮るときは結構行列だったんですけどね。
先日、川崎フロンターレの中村憲剛選手が、
引退を表明しました。
数日後(11月3日)の試合日の朝、
競技場に飾られた横断幕の写真がSNSにあがってました。
僕のウチはその競技場のウラにあるのですが、
それを見てダッシュで競技場に向かいました。
試合時間まで4時間以上もありましたが、
人ゴミで見にくくなる前に見ておこうと思ったからです。

デカい!
おそらく70mくらいはあるでしょう。
すごいですよね。
ちなみに、
One Four KENGO の「One Four」は中村憲剛の背番号14番とかけてあり、
「Four」は「for」ともかけています。
他にも、競技場の周辺一帯に、
これでもか、という量の幟(のぼり)を置き、
「憲剛まつり」を演出しています。


フロンターレのプロモーション担当です。
この人、その筋では知らない人はいないほどの有名人です。
お客さんが全く入らなかった20年ほど前から
数々のユニークな企画を企て、
チームを地域に根付かせました。
「算数ドリル」に選手を登場させ、
小学生に親しみのある話題で問題を作成しました。
また「お風呂ンターレ」という企画では、
選手と地域の方々が地元の銭湯へ行って、
ファンとの交流と地域の盛り上げに一役買いました。
他にも様々な創意工夫で、
プロモーションの界隈を驚かせてきました。
憲剛選手とは役割は違っても、
18年間、チームを盛り上げる戦友でした。
本人の希望で天野さんは2017年より、
TOKYO2020の組織委員会へ出向していましたが、
先月フロンターレに戻ってきました。
憲剛選手の引退発表は、
天野さんの復帰を待っていたかのようなタイミング。
彼に対する並々ならぬ思いがあるのだと、
僕は勝手に想像しています。
本人のSNSによると、
今回のプロモーションはまだまだ序章とのこと。
今後の展開に注目しています。
以前テレビでザッピングしているとき、
フランスの高校生が話していたことをふと思い出した。
フランスの高校では哲学の授業があり、
その学力を図る全国試験もあるそうだ。
日本では、大学で選択しないと、
まず哲学の授業なんて受ける機会がない。
過去の偉い思想家の言葉が、
お笑いのネタやファッションのように扱われているのを何度か目にして、
なぜ日本では、哲学や思想を学ばないのだろう、
という思いがあった。
先日、それを学ぶ理由が書かれた文章に触れる機会があって、
なるほど、と腑に落ちた。
そもそも哲学や思想がなぜ必要なのか。
それは固定観念の破り方を学ぶためなのだ。
固定観念はみんなが信じていて、
信じていることすら意識しないほど常識化しているから、
何が固定観念だということすらわからない。
思想家は、それを見破って新しい考え方を示してくれる。
だから重要なものなのだ。
たとえば「鉱物資源は国家の根幹」と言われる。
確かに鉱物資源を持てない国は、
産業の発展に苦労し国家の力が低下する。
でも、この理解には固定観念が潜んでいる。
エネルギーが乏しくても、
世界に存在感を示す元気な国はたくさんある。
経済成長は右肩上がりでなければならないというのは、
本当なのか?
経済が横這いでも、普通にみんなが生活していける社会というのは、
本当に作れないのか?
浪費中心の社会でなくても、
経済が循環するような構造って出来ないのだろうか?
固定観念を破り、誰も気づけなかった考え方を提示して、
その手法を学ぶために、
また社会に新しい価値を気付かせるために、
哲学は参考になるのだ。
政治に一貫性がなかったり、
自分の意見を持っていないと言われたり、
ひとつのニュースに寄ってたかって騒いだりする、
という特徴が日本人にはあるように思うのだが、
それは、こういう事を学ぶ機会がないから、なんて気がするのだ。
今年の夏のある日、
ある有名選手の自宅のベルを鳴らす人がいた。
時間は朝の5時すぎ。
「なんだこんな時間に」と思い、
寝ぼけまなこでインターフォンを覗くと、
防護服に身を包んだ人が玄関前に立っていた。
ドーピング検査官だ。
自分が申告した時間を思い出した。
トップ選手のSNSには、
こうしたドーピング検査の様子が、
時々アップされる。
選手は、種目にもよるが、世界ランク20位以内に入ると、
向こう3か月の自分の居場所を申告しなければならない。
でも、検査の日時が事前にわかると、
選手がコントロールできてしまうので、
そうならないように抜き打ちでやって来る。
それに対応できないことが数回続くと、
選手は何年か出場停止になったり、
酷い場合は永久追放になることもある。
だからどんな早朝でも対応せざるを得ないのだ。
でも、朝の5時に自宅に来てもらっても、
用をたしたあとだったとなると、
数時間待ってもらうことも珍しくない。
また検査官は、
検体が選手の身体から出てくるところを直接目視しなければならない、
という基準があり、
「選手のプライバシーは?」なんてことも言ってられなくなる。
それでも、
クリーンなところを理解してもらわなければならない、
という責任感も選手にはある。
このコロナ禍で、
試合や練習環境を奪われたスポーツ選手は多い。
対戦相手だけではなく、環境だけでもなく、
選手は様々な事柄と戦っていることがわかると、
スポーツをより深く見れるだろうと思う。
※
ちなみに、ドーピングに引っかかる薬というのは、
僕らが日常、薬屋で買っているモノにもある。
どんな薬が大丈夫なのかは、
2017年5月26日のブログをご覧ください。
https://cforce.co.jp/blog/2017/05/post-2479.html
来年に延期されたオリンピック・パラリンピック。
既に海外から来日している選手がいる。
南スーダンから来た5人の陸上選手とコーチ。
国内が内戦のため情勢が不安定で、
その難を逃れるため11月に来日。
今は前橋に滞在し合宿をしている。
本来ならこの夏に開かれるはずだった、
オリンピック・パラリンピックに出場し、
帰国するはずだった。
しかしコロナの影響で延期になり、
1年滞在が延びた。
そんな彼らの状況が何度か報道されると、
ふるさと納税で賛同者が増えた。
他にも、日本各地から支援の申し出があった。
この7月には、前橋市が来年の夏まで支援を継続すると、公式に発表した。
今後の滞在費はふるさと納税を中心に、
引き続き支援を募る必要はあるが、
後ろ盾が出来たことを考えると、彼らの安心感は計り知れない。
月日を重ねて、彼らは少しずつ日本語を覚えてきていて、
地域の方々と交流も増えた。
日本の生活にも馴染みつつあるようだ。
選手である以上、練習環境も試合出場も大切だ。
コロナ禍ではかなわなかった大会出場だったが、
7月には県の大会に出場できる機会があった。
先日も「国公立大学対抗」という、
大学生のための大会にご厚意で出場できるという幸運もあった。
遠く離れた異国で、
彼らを支えようとする輪が出来ていることが素晴らしい。
こんな交流、
もっと広がってもいいと思う。
マラソン大会の中止の波が止まりません。
コロナの感染拡大防止の対策をとったスポーツが
徐々に再開されていますが、
マラソンはその流れに乗れずにいます。
同じように道路を使って開催する駅伝も、
開催の目途がなかなか立たない状況です。
10月には箱根駅伝の予選会が立川で行われますが、
自衛隊の駐屯地の中だけで行うという異例の措置になりました。
入場口を設ける事が出来ないロードレースでは、
沿道の観戦者のコロナのコントロールをすることが難しい。
また、観戦者を誘導する係員も、蜜状態が懸念されるなど、
様々な問題があるようです。
そんな状況を見かねた愛好者たちが、
独自にマラソン大会を計画中とのうわさを聞きました。
自動車レースを開催するサーキットを貸し切るのだそうです。
それなら、入場者の制限が出来て、
なおかつ、沿道の係員も必要ない。
なるほど good idea!
やっぱり、やる気のある人は、
どうすれば出来るのかを考えていますね。
マラソン大会の多くは、自治体が主催です。
その自治体がコロナに抗って積極的に大会を開こうとするとは、
到底思えません。
いつも新しい波を起こすのは、
やる気のある人たちの熱さと、取り組む物事への愛情です。
この閉塞感を打破していくのは、
そういう意思に尽きるのではないでしょうか。
text by 赤様
8月も終わりに近づくと、
いつも思い出すのは夏休みの宿題のこと。
もう関係ないはずなのだが、
この歳になってもなぜか思い出す。
当時は40日遊びまくって、
残りの数日で半泣きになってやっつけていた。
大人になったら人間はもっと成長するんだろう、
と勝手に思い込んでいたけれど、
偉い小説家の先生も同じような実態なのを知って、
これは人間の性なのか、と子どもながらに落胆していた。
蝉の鳴く眩しい日差しの先日、
たまたま興味深いものを発見した。
「なぜ私たちはいつも締め切りに追われるのか」
http://ymatsuo.com/papers/neru.pdf
これは人工知能の研究者である偉い先生が、
締め切りに追われる人間の性質を書いたもので、
2006年に人工知能学会論文誌に発表された、ちゃんとした論文である。
締め切り間際のドタバタ感にも懲りず、
それを次に生かせない事に対して
「我々はあほなのだろうか」と嘆いている。
ちょっと言い訳じみていて親近感も湧き、
ネット上でも共感の声があがっている。
この先生が導き出した結論は、
ここで紹介するのは差し控えるので、
興味があれば上記URLにて、ぜひ読んでいただきたい。
論文だけど難しくはないのでオススメする。
これを通してわかることは、
頭の良し悪しと、処理の早い遅いは全く関係がないこと。
ならば、そういうことを1つの科目として教え、
対処法を子どものうちから学ばせたらいいのではないか?
と思うのだが、いかがなものか。
「オリンピックはできないでしょう」
という意見をよく耳にします。
でも一方で、
「オリンピックはやったほうがいい」
という意見も最近になって聞くようになりました。
コロナの感染者数が増えてきているなか、
これはどういうことなんでしょう。
スポーツの多くの大会が中止になっていますが、
やる気のある主催者側からは、
開催するときの安全管理の基準をもっと高くしてほしい、
という要望が多いそうです。
どういうことかと言うと、
より難易度の高い対策をすることにより、
「ここまでやってます」という説得力が欲しいのだそうです。
そんなイベントの最上位に位置するものがオリンピックで、
そこでの対策やノウハウが蓄積できれば、
それが広く様々なところで生かせるだろう、
ということらしいのです。
withコロナの状況下でのソリューションを、
資本や人手や英知が注がれるオリンピックを使って構築しよう
というのが狙いなのでしょうね。
また一方で、
各国の交流や、人の往来が減ってしまっている状況も
無視できない懸念材料です。
経済的な結びつきや、文化的な交流は、
国際間での友好の基となるもので、
貿易も観光もそれに影響されています。
少し飛躍しますが、戦争が起こらない方法論として、
スポーツと科学と文化の3つが国を越えて繋がっているときは、
最悪の状態にはならないんだそうです。
それを当てはめてみると、
今の状況が危ういと言えなくもないのだとか。。。
オリンピックを準備するということは、
そうした新しい社会のモデルづくりも担っている。
そう考えると、
簡単に否定するのは、好機を逃してしまうのかもしれません。
「コロナのワクチン開発は日本では難しい」
先日そう言うことを聞きました。
技術立国の日本で、それはウソでしょう?と思うのですが、
どうやら技術的な問題ではなさそうです。
薬は、臨床試験を経ないと認められませんが、
その被験者が1万人ほど必要なのだそうで、
発症している患者数が足りないのがその真意のようです。
アメリカでは、
コロナのワクチン開発のために、
ボランティアを募集しているそうです。
その臨床試験のために、
ボランティアに被験者になってもらうためです。
ワクチンを投与された後、
100%感染する環境に身を置くのだそうで、
なんか、これって非人道的なんじゃないか
と思ってしまいます。
でも、ノーベル賞受賞者をはじめ多くの科学者が、
その趣旨に賛同していて、
正当な実験と認識されているのです。
そういう世界なんですね。知らなかった。。。
驚くのは、そのボランティアの募集に、
なんと3万人以上が応募しているそうで、
ホントに信じられません。
被験者が足らないが故に、
「協力してもらえませんか?」と言われてたら、
どうしますか?
ちょっと躊躇しますよね?
2020年7月24日20:00。
本来なら、
この時刻に東京オリンピックの開会式が始まる、、、はずでした。
スポーツの世界では「たられば」は言ってはいけないのですが、
この非常時ではどうしようもありません。
1年後でも開催されるかどうかは不透明で、
オリンピックがなければ生きている意味がない
とまで思っている僕には気が気でなりません。
いや、僕のことは置いといて、、、
最も苦痛な思いでいるのは、他ならぬ選手だと思います。
審判、競技役員、コーチ、トレーナー、マネージャー、医師、
ボランティア、通訳、マスコミ、スポンサーサプライヤー、国賓公賓などなど、
選手や観客以外にも、
世界中からやってくる人は大勢います。
たとえ日本国内が落ち着いたとしても、
どうなるかわかりません。
また、
アフリカなど医療体制が十分ではない地域の状況が芳しくないと、
そこからの者の入国をどうするのか、
入国後2週間はどこかに隔離するのか、
などなど課題は山積です。
こんな状況になるとは、
半年前までは誰も想像していませんでしたよね。
社会の様々な事柄が急激に変わり、
数か月先も見通せない今日では、
1年後を想像することはとても難しい。
でも、スポーツだけでなく、音楽や芸術など、そういうものは、
人に夢や希望や感動をもたらしてくれるものであり、
また、そういうものに真摯に取り組む人を、
僕は放っておけないのです。
難しい状況が続きますが、
そういう人たちを応援していきたいと僕は思います。
蒸し暑い季節がやってきました。
マスクはちょっとつらいですね。
むかしむかし、欧州では、
仮面をつけて催しに参加する風習があり、
様々な仮面が作られました。
マスクに馴染みがなかった欧州の人々が、
このコロナを機に身につけはじめましたが、
彫が深く鼻が高い顔を覆うようなマスク姿を見ると、
僕はその仮面を想像してしまいます。
そのうち、それを逆手にとって、
仮面のように魅せるマスクが登場するのではと、
密かに思っています。
オペラ座などのお土産に、
なんてことにならないとも限らない。
日本でもこれだけマスク生活が続くと、
そういうモノが市場に出てくるだろうな、と想像しています。
あ、もう出てきてますかね???
東急ハンズやドン・キホーテのバラエティグッズ売り場が、
マスクだらけにならないかなと、
ちょっと期待しているのです。
そんな販促に対する根性は、
得意ですよね。この国は。
なぜそんなことを思うのかというと、
やはりあの色やカタチが、
極めて無機質で実用性重視だからです。
絆創膏だって、様々な柄がありますよね。
いろいろデザインが描かれて、
ささやかながらも明るい雰囲気を漂わせる。
そういうのも悪くないと思うのです。
マスクという縛りがあるのだから、
せめてそれくらいのゆとりを持ちたいものです。
先日、ブルーインパルスが都心の上空を飛びました。
数日後、全国で夜空に一斉に花火が打ち上がりました。
どちらもコロナの最前線で戦っている医療従事者に、
感謝と敬意を伝える事が趣旨ですが、
それとともに、stay home で単調な日々を過ごしている僕らにも、
笑顔をもたらしてくれるものになりました。
特に、花火の取り組みは、
なんか、これだけでドラマになりそうだな、
と思いました。
全国で相次いで大会が中止になるなか、
若手の花火師たち11人が中心となって、
こんな状況で花火で何か出来ないかと企画されました。
花火師の粋な取り組みです。
4月上旬からテレビ会議などで話し合いがもたれ、
その意志に賛同する者がどんどん増えていく。
その数、47都道府県で160以上。
すごい経緯です。
ブルーインパルスにも花火にも、共通するのは、
空を使った取り組みであったことと、
人々に上を向かせたことで、
僕はこれに感心しました。
マンガやドラマでよくあるシーンですが、
登場人物が自身の気分を上げることだったり、
新たな事に取り組もうとするときに、
上を向いてセリフを言うことがあります。
これは、自身の気持ちを切り替えて、
次に進むことの象徴のような気がするのです。
また、空は誰もが見ることができ、
多少距離があっても対象を探せます。
機器の違いやインフラなどに制限されません。
そう考えると、素晴らしい媒体とも言えます。
ワクチンや治療方法の確立には、
まだまだ時間がかかります。
でも、それに屈することなく、
上を向いて、顔を上げて過ごすことは意識したいですね。
25日に緊急事態宣言が解除されました。
少しずつですが、
ようやく様々なことが動き出していくのでしょう。
十分な対策を怠らない事はもちろんですが、
ひとりひとりに、社会全体に、活気が戻ってくるといいですね。
stay home で家にこもり、
仕事や授業をオンラインで行うことで、
運動不足になった人も多いのではないでしょうか。
普段から身体を動かす習慣のある人でも、
その鈍り具合を嘆いている様子をSNSで多く見かけました。
でも幸い、散歩とランニングは認められていたので、
ランナーは、以前と変わらず元気なような気がしています。
ランニングコミュニティのアプリでは、
コロナ禍にもかかわらず書き込みの量が増えたのだと、
新聞で話題になっていました。
走っているから元気なのか、元気だから走っているのか。
去年の暮れから今春にかけて流れていた、あるテレビCMで、
「努力か才能か、いや体調だ」
というキャッチコピーがありました。
コロナのこんな事態を経験すると、
ホント体調って大事だ、と痛切に感じます。
そういう価値観がもう少し広まればいいですね。
このコロナ禍で、思うように練習ができず、
暇を持て余したり、
社会に貢献しようと意気込むスポーツ選手が、
インスタグラムなどのライブ配信をしたり、
Youtubeで動画を配信したりしています。
ゴールデンとは名ばかりの大型連休に、
僕もそうしたコンテンツを何度も見ましたが、
未経験だけどやってみようと、この機会に発信する側になった者が、
急速に増えた気がします。
一方で、
社会人がテレワークになったり、
学生が自宅で授業を受けることにより、
多くの人たちがオンライン会議アプリを使う機会が増えました。
仕事や授業だけでなく、
身体を動かす講習会や、
挙句の果てに飲み会までもがオンライン。
stay home の名のもと、
見る人が限定されてはいるものの、
誰もが自分の顔をオンライン上に載せる時代がやってきたのか、
と少し驚いています。
以前は、公共の電波に出ることが大騒ぎだった人々が、
今ではパソコンの向こう側の誰かに向かって、
「俺、映ってないよ!」
と不具合の文句を言う光景だってあるのです。
人はこうやって、
人前に顔を晒す事に慣れていくのでしょうか。
外に出ればマスクで顔を隠しているのが対照的で、
なんだか可笑しいです。笑
コロナウィルスがもたらした、もうひとつの産物は、
もしかしたら恥ずかしさの基準の変化かもしれませんね。
先日発表された、電通「日本の広告費」によると、
ネット広告の規模がテレビ広告を上回ったのだそうだ。
僕の友人にも、
テレビをほとんど見ない人や、
テレビを捨ててしまった人など、
必要性を感じない人が少なからずいる。
でも、それらの人が、
映像系のコンテンツを全く見ないかというと、
そうではなく、
ネット配信や動画サイトは見るという。
見たい時に見れる時間や場所を問わないことや、
家具のような大きな画面は必要ない、
という意見はとても理解できる。
でも僕が気にしているのは、
テレビじゃなくても楽しいコンテンツを、
独自に生み出せるようになってきたということだ。
有名人が自ら企画したものを配信し、
評判を呼んでいるのをみると、とても面白い。
よく芸能人の話しで、
楽屋や飲み屋の光景が最も面白いというのは、
もう関係者でなくても知っていて、
それをコンテンツ化されると、
ちょっと反則技とも思えたりする。
また一般人でも、
独自に面白いことをどんどん追求していく人が増え、
お金や人をかけなくても、
楽しいことを提供できることを理解し始めたのだと思う。
それに対してテレビは、
多くの人が関わりすぎていて、
企画が公約数的なところにおさまって、
カドが取れてしまったのだろうか。
それとも、
マスになり過ぎたために、
多くの人のウケを狙った結果、
無難なものになってしまったのだろうか。
同じような時間帯には、
違う放送局が同じような番組をたてているのも、
あながち違わないと思われる。
多様化が進むことはいいことだ。
だが学校や職場で、
「昨日のあの番組見た?」という会話は、
数年後には、もしかしたら無くなるのかもしれない。
オリンピックは延期になりました。
このところの情勢をみると、
そうせざるを得ないでしょう。
IOCも組織委員会も、
通常開催を目指して動いていたようですが、
ご存知の通りになりました。
でも、ひとつだけ良かったなと思うことがありました。
それは、放送や商業などの利権を持つ者からの力や、
政治の力が発端ではなかったことです。
選手やそれを束ねる組織からの意見が主流となり、
大きなウネリになったのです。
僕が調べた範疇では、下記の通りです。
3月21日 アメリカ水泳連盟と陸上競技連盟が延期を求める
同日 ブラジル五輪委員会も延期を要請
22日 ジャマイカ五輪委員会がボイコットを表明
23日 カナダ五輪委員会が選手を送らないと表明
同日 オーストラリア五輪委員会が同国選手向けに
「来年に向けて準備するように」と声明を発表
24日 ノルウェー五輪委員会が選手を送らないと表明
同日 アメリカ体操連盟が選手に調査をして62%が延期に賛同
と、堰を切ったような勢いでした。
そして24日の夜、延期の決定がくだされます。
決定としては、異例と言ってもいい早さだと思います。
多くの選手の要求が通ったカタチですが、
選手みんなが喜んだかというと、
そうではないと僕は思っています。
命の危険もある今のこの状況で、
誰もが試合も練習もやりたくはない。
しかし、それと同時に、
リスクを抱えていたと思うのです。
既にコンディションを合わせにかかっていたのを止めたり、
選考会を勝ち抜いた選手は、
その出場権が無効になってしまうかもしれないという不安だったり、
延期がいつになるのかわからないという不安だったり・・・。
選手それぞれの立場によって、
葛藤があったと思うのです。
延期決定後、JOC会長の山下泰裕さんが会見されていました。
彼はモスクワオリンピックのボイコットの時に、
涙ながらに無念さを訴えていました。
それだけに、今回の如何ともし難い気持ちが読み取れました。
そんな選手の気持ちが理解できる山下さんが、
この時期に会長で良かったと思います。
何かの判断のときには、
きっと選手本位を考慮してくれるだろうと思うからです。
しかし何より、
現在のこの状況が一刻も早く改善することを願ってやみません。
今夏のパラリンピックを前に、
その選手を紹介する記事や番組が多く発信されている。
不慮の事故や病気で障害をかかえ、
その後、何かのきっかけでスポーツと出会い、
競技を始め仲間ができ、周囲に支えられて、
笑顔が溢れ、周囲に感謝し。。。
カヌーの瀬立モニカ選手、
マラソンの道下美里選手などなど、
今が「幸せ」と語る選手が何人もいることに驚いた。
五体不満足なところから
練習に練習を重ねて、
普通に生きている僕らのような健常者よりも
遥かに勝る運動能力を獲得していたりする。
その様は、
スーパーが何個もつくくらいのスーパーマンとも言える。
そんな、心の充実と競技の成果を考えると、
人生の成功者とも言えるし、
失礼な言い方かもしれないが、
平凡な健常者よりも満たされているのかもしれないとさえ
思えてくる。
障害をかかえて日々の生活を送ることは、
たいへんなことだ。
周囲の支え無しに普通の生活を送るのが難しい選手も多い。
でも、
障害を乗り越えた逞しさと、
周囲に感謝を忘れない彼らには、
明るい者が多く、
それがまた人をひきつける。
そして、彼らの夢に協力して、
自分もその夢を追いたいという者が集まってくる。
そんな彼らのストーリーに触れると、
学ぶことがとても多く、
自分も頑張らねばと、
いつの間にかパワーをもらっているのである。
先日、都内で、
東京オリンピックの聖火リレーのリハーサルが行われました。
主役の「火」は、もちろん灯っていないものの、
沿道には観衆がいて、ランナーの前には報道を想定した車もあり、
アンバサダーの石原さとみさんも登場と、
本番を感じさせるものでした。
えっ? 主役は「火」ではなく「ランナー」だって?
ん~~~、確かに。そうとも言えますね。
あっ、これは今後のブログのテーマに出来そうです。
少ししたら、それで書いてみましょうかね。
さて、その聖火の火は、
古代オリンピック発祥の地、ギリシャで採火されます。
3月12日、オリンピアのヘラ神殿跡で、
古代の衣装を着た巫女が、凹面鏡で太陽の光を集めて火をつけます。
文明の利器を使わないところがいいですね。
小学校のときに、
太陽の光を虫めがねで集めて火をつけたのを思い出します。笑
採火の場所や方法は、
これまで、どのオリンピックでも同じやり方をしています。
これをぜひとも見てみたいと僕は思っているのですが、
中継が無い。。。
それどころか、どうやら非公開らしい。残念。。。
巫女がつけた聖火は、
最初の聖火ランナーとなるギリシャの選手アンナ・コラカキさんに渡されます。
彼女はリオデジャネイロオリンピックの射撃の金メダリスト。
その彼女から聖火を受け取る第2走者が野口みずきさん。
アテネオリンピック女子マラソンで
金メダルを獲ったから選ばれたんでしょうね。
その後、1週間かけてギリシャ国内をリレーされ、
3月19日に吉田沙保里さんと野村忠宏さんに渡され、
3月20日に日本にやってきます。
到着する宮城県の自衛隊基地では式典が行われ、
ブルーインパルスが五輪の輪を上空に描くそうです。
これは1964年の開会式の再現ですね。
その後、
全都道府県をまわる聖火リレーがいよいよスタートします。
聖火、見たいですよね。
スケジュールはすでに発表されていますが、
やはりサラリーマンは週末じゃないと難しい。
47都道府県を4か月でまわるには、
1県あたり3日くらいしかありません。
なんとか予定を合わせて見たいところです。
グラフィックレコーディングというのをご存知でしょうか。
通称=グラレコと呼ばれますが、
会議やセミナー、トークイベントなどで、
発言したことを記録するものです。
議事録のようなものとも言えますが、
「グラフィック~」という名のとおり、
発言の趣旨やニュアンスが
視覚化(ビジュアル化)されているのが特徴です。



何よりわかりやすい。
手書きという温かみがあるのもいい。
今では、これを描くプロがおりまして、
イベント会場の片隅で、
ポスターほどの大きな紙に、
せっせと描いているのを見ることがあります。
その様子は、まるで水森亜土ちゃん(←古すぎる・・・汗)
イベントの進行とともに、どんどん描かれていき、
終わる頃には、グラレコもだいたい出来上がってます。
そんな同時通訳的な速攻性も見事です。
僕が初めて知ったのは2018年の暮れ。
当初は、なぜこれが必要なのかわかりませんでした。
単なるパフォーマンスなのかな、
くらいにしか思っていませんでした。
しかし最近、
ある人の意見を聞いて「そうか!」と腑に落ちたのです。
イベント終了後でも、参加者同士の対話を増やしたかった、と。
なるほど!
これはもしかして、
同じことを抱いている人は多いのでは?
と思ったのです。
熱量をかけてイベントを運営した者にとっては、
やはり深く議論し、様々な学びを持ち帰ってもらいたい、
と思うのは当然のことです。
でも、そういうきっかけになるツールが
これまでは何もなかった。
その後の懇親会などで参加者が集まっても、
単なるおしゃべりで終わる事もあった。
せっかく集まったいい機会が勿体ない。
それが、こういうものがあることで振り返りのきっかけになりますし、
ビジュアル的だからイメージが湧きやすく、
活発な意見交換が期待できるのです。
単なる記念品的な鑑賞物ではなく、
学びや交流の道具として、
ちょっとおもしろいツールだなと思いました。
オリンピックの聖火ランナーが、
続々発表されております。
全国各地で、
多くの有名人やスポーツ選手が走ることになりそうです。
各自治体で、
地元ゆかりの有名人を推薦できるのですが、
熊本県は、あのくまモンを推したのだそうです。
しかし、オリンピック組織委員会の返答はNO。
理由は「人ではないから」だそうです。
残念。。。
でも、
その熊本県の意図が僕は面白いなと思ったのです。
と、いうのも、、、
あまり機敏には動けないゆるキャラを、
なぜ走らせようとしたのか?
ダメかもしれないと想定はしたであろうけど、
なぜそこをあえて推したのか?
誰もが走りたいと思わせる舞台で、
「人間」1枠分減らしてまで走らそうとした理由は何か?
という疑問が僕には浮かんだからです。
熊本県がくまモンを大事にしているのは、
とてもよくわかります。
ゆるキャラの生かし方としては、
比類ないほど上手くやっていると思います。
知名度抜群の彼なら、
さらなる訴求力にもつながるでしょう。
でも、前例にないことを敬遠したり、
出る杭を嫌うお役所の性質からすると、
遊び心あるこの試みがとても不思議でした。
と同時に、
とても微笑ましく思えたのです。
担当者のあいだでは、
いったいどんなふうに話し合われたんでしょうね。
それとも、もしかして、
くまモンは人間になりたかったのかな?笑

当時のIOC会長ジャック・ロゲが、
「TOKYO!」と言って招致が決まったのが2013年。
それからというもの、世間でもニュースでも、
「2020」と言えばオリンピックを指す言葉だった。
いよいよ幕を開けた2020年。
今年の話題はオリンピック以外にも、
ありとあらゆる事柄があるのは当然のこと。
でも、オリンピック好きの僕の頭の中は、
2020=オリンピックというのが、
7年も前からすっかり染みついてしまっている。
だから、ニュースやいろんなところで「2020」と耳にするたびに、
違うニュースでも『えっ?オリンピックか?』
と僕は反応してしまっている(汗)
そもそも、なぜ2020としたのか。
おそらくパラリンピックを省略する言葉が無いからだと思うのだが、
オリンピックとパラリンピックをセットにした言葉が
そろそろ出来てもいいんじゃないかなと思う。
言い方もちょっと気になるところ。
「にいぜろにいぜろ」と言うのが一般的だが、
なぜ「にいまるにいまる」とか
「にいれいにいれい」とはならなかったのか。
そうなると「にいぜろにいぜろ」にしようぜ!
と統一した人は誰なのか?笑
そんなくだらない事はさておき。。。
いよいよ始まったオリンピックとパラリンピックイヤー。
でも、それが終わった9月以降も2020年は続くのである。
そんな秋以降も大事にしなければ!
とは、今の段階ではとても思えそうにない。。。汗
社員旅行でグアムに行った初夏のある日。
現地の空港での入国審査。
コワモテ、太い腕っぷし、、、
無愛想な審査官。
重苦しい雰囲気のなかで一連の手続きを終えると
「enjoy!」
とパスポートを返された。
思わぬ言葉に僕はちょっとビックリした。
でも数秒後に、いい気分になった。
旅行好きには、ごく当たり前の光景だと思うのだけど、
僕は今まで、
英語圏の国には行ったことがなかったからなのか、
こういう言葉を初めて聞いた。
そんな好感の持てる言葉を噛みしめていると、
しばらくして、
『これっておもてなしって言えるよね』と思った。
滝川クリステルが「お・も・て・な・し」と言ったあの日から、
それは日本特有のもののような気になっているけど、
いえいえ、いろんな国にあるんじゃない?と思える。
むしろ、優しい人はどこにでもいて、
そんなオープンマインドな人の気持ちが、
来訪者への良いイメージとなって記憶に残り、
それが繋がっていくんじゃないかなと思わせる。
近年、海外からの観光客が増加し、
加えて2020年はオリンピックで、
大勢の外国からの観光客が東京にやってくる。
僕もそんなときに、
先日、東京オリンピックチケットの2次販売の申込みをしていて、
「あれ?長野オリンピックの時は、どうやって買ったんだっけ?」
と思って振り返ってみた。
当時はネット環境なんて無かったから、
いろいろと苦労した。
ちょっとうろ覚えだけど、
確か1次販売は郵送のみで、結果は全滅だった。
下記の写真は、そのときの申込書。
棚の奥から引っ張り出してきた。

下見に行ったら整理券を出す店と出さない店があり、
また、配布時間や開店時間に差があったりして、
数店まわった方がいいなと判断した。
代理店が密集する八重洲と有楽町あたりに狙いを定めて作戦を練った。
当日は始発電車で向かったら、
既に結構並んでる店とガラッガラの店があった。
結局5~6店舗くらいに申込みをして手に入れたのは、
スキージャンプラージヒル、
スピードスケート男子1000m、
アルペンスキー男子回転、
アイスホッケー(NHLの選手が出るチームを中心に)3試合。
概ね希望通りのチケットを手に入れることができた。
開幕して、いざ長野に到着したら、
長野駅にはダフ屋が大勢いたのだが、
なんとその全てが外国人で驚いた。
彼らは片言の日本語で
通り掛かった人にもれなく声をかけていて、
商魂たくましいなと思った。
5時過ぎという早朝にも関わらず大勢いたので、
もしかしたら駅で野宿していたのかもしれない。
試合会場に着くと、
どの会場でもそうだったが、
観客が多く盛り上がってた。
えっ?
この試合は日本選手が出ないよね?って試合でも、
大盛況だった。
今年のラグビーW杯や、
来年のオリンピックのチケットの競争率をみても、
そうだけど、
日本人はみんなの話題になるところに行きたいんだね、
と思うのである。
2020年のチケット、当たるといいね。
大きなスポーツの大会には、
企業のスポンサーがつくのはご存知のとおりです。
例えば、オリンピックでは、真っ赤な自動販売機の某飲料メーカーが、
必ずと言っていいほど協賛していますね。
試合会場や関連施設、選手村などでは、
他のメーカーのものは取扱い禁止、
販売機などは一時的に排除されてしまいます。
お客さんは、
そのメーカーの商品しか買い求めることができません。
1991年に東京で世界陸上が行われたときの話しなんですが、
真っ赤な某飲料メーカーが、
オリンピックと同様に世界陸上でも協賛企業でした。
その練習場がある施設は、
僕が以前アルバイトしたことがある施設で、
それが縁で練習場に入らせてもらえました。
そこにあったのが例の真っ赤な自動販売機。
そのボタンが常にお金を入れた状態になっていたんです。
わかりますか?
要するにお金が無くても、
ボタンを押せばいくらでも出てくる!
『あっ、協賛というのは、こういう事なのか!』
と、そのとき初めて知ったんですね。
オリンピックの選手村には、必ず食堂があって、
そこで選手は、
好きな時間に好きな料理を好きなだけ食べられるんです。
夢のような話しですね。
もちろんこれも無料です。
でも、海外の料理って口に合わない。
数日経つと、
これも必ずと言っていいほど協賛している
某Mのマークのハンバーガーを食べ始めるんですって。
で、それも数日で飽きる。
だから炊飯器や簡単に調理できる食品を、
日本から持ち込む選手も多いのだとか。
無料とはいえ、
選手もいろいろやりくりしているんですね。
ご存知のとおり、
ラグビー日本代表は準々決勝で敗退しました。
残念だったですね。
でも大健闘でした。
僕が印象的だと思ったのは、
その試合後の選手の表情。
涙を流す選手、座り込む選手、握手を交わす選手。
振舞いはそれぞれでしたが、
ほとんどの選手に見て取れたのが、
全てをやり切った感や、すがすがしさ。
負けた選手がこういう表情するのか!
今までたくさんスポーツを見てきましたが、
こういうシーンはほとんど見たことがない。
ホント印象的でした。
さて、
今回ラグビー界は様々な取組みをしました。
なかでも面白かったのは、
選手や関係者が「にわかファン」を大々的に推奨したこと。
「にわか」という言葉、
ちょっと流行語の兆しもありますね。
あの「ほぼ日」のサイトでも、
にわかでいいからラグビーを見よう!
みたいなムーブメントを行っています。
https://www.1101.com/rugby/
とても初心者にあたたかく、
親しみやすい取組みだと思います。
初めは誰でも初心者です。
知らないことを認め、それを歓迎する。
そこを疎かにしては、
ファンは増えません。
人気も出ません。
知識をひけらかして無知を罵る、
心の狭い人たちがどの分野にもいますよね。
そんな垣根があるくらいなら、敬遠するよ。
そう考える人は想像以上に多いのです。
「出しゃばるオタクが業界を潰す」
そこまで言う人もいるほどです。
ワールドカップは今週末で終わりますが、
ラグビーはずっと続きます。
今後のラグビー界に注目です。
text by 赤様
ラグビーW杯が始まって2週間。
日本代表の快進撃もあり、大いに賑わっています。
日本代表は強豪国に勝ったこともあり、
世界ランキングはなんと8位にまで上昇。
ランキング表には優勝候補と言われる国々の中に紛れ込んで
「日本」の文字が眩しく光っています。
そんな影響もあるでしょう。
日本以外のどの試合も競技場は満員。
ラグビーが人気競技ではない日本で、
この現象を目の当たりにした関係者やコアなファンは、
夢のようなことだと思っているでしょうね。
テレビでも連日W杯の話題が流れ、
広告もラグビーにまつわるものが増えています。
2002年のサッカーW杯の時ほど派手さはないものの、
お祭り的な雰囲気があちこちで見られます。
週末になると、
サッカーのユニフォームを着たサポーターをよく見かけますが、
一時的かもしれませんが、
ラグビーのユニフォームを着た人たちが、
今街でも見られることが不思議に思えます。
SNSでも、
海外から来た選手が日本のグルメや文化に触れたり、
ファンと交流する様子がたくさん発信されています。
選手は試合を重ねるごとに日本各地を移動しますが、
各空港で日本のファンに歓迎される外国チームの様子は、
なんだかいいなと思えます。
まあ、ミーハーなのかもしれませんが、
でもそんなミーハーで、そんな「にわか」で、いいんですよね。
僕も、その盛り上がりを感じに、
パブリックビューイングや試合が行われるスタジアムの前に
行ってみようかなと思います。
オリンピックの取材って、
なんか華々しくていいですよね。
でもかなり過酷なんだという話しをよく聞きます。
競技場に入るには、
取材許可証(パス)というものがあるんですが、
これが数に限りがあるんだそうです。
それはそうですよね。
世界中からやってくる取材陣を全部受け入れてたら、
それこそ競技場がマスコミだらけになってしまいます。
ただでさえ、競技場内の報道ブースの割合って、
結構広い面積です。
だから、パスを出す数を制限するのだそうです。
でもそれだと、各社とも人手不足になってしまう。
そこで、テレビ局はジャパンプールという連合チームを作って、
各局から少しづつ人間を出して、協力して取材をするんです。
ラジオも新聞も雑誌も、そういう組織を作るんだそうです。
ときどき、
民放でNHKのアナウンサーが実況していたりするのは、
そういうわけなんですね。
撮った写真、書いた原稿は、
その組織でのクレジットとなるのです。
人数制限があるから、現地で働く人も少数精鋭。
だから期間中の2週間とその準備のための
合計3~4週間は、
数時間の睡眠でほぼ働きづめなのだそうです。
疲労の色も出さずに笑顔で伝えるアナウンサーは、
ホントたいしたものですね。
そんな事情があるので、
フリーのライターやカメラマンが、
パスを手に入れるのはかなり難しいのだそうです。
報道エリアに入れず
観客席で仕事をする者も多いらしいですよ。
テレビのオリンピック番組の司会をする芸能人が、
競技場で応援をしていますが、
貴重なパスをそれで使わないでくれ、
とスタッフは思っているかもしれませんね。
でも、現場で観れるのは、やはり喜びです。
ここで競うために全てを賭けてやってきた者の勝負というのは、
計り知れない凄みがあります。
その凄みに取りつかれた者が世界中からやってきて、
睡眠や自由な時間を削ってでも情熱を注ぐ。
そんな境遇だからか、
記者同士が国を超えて友人になる、
なんてことがよくあるそうです。
オリンピックってそういう点でも、
すごいところです。

誰でも知ってますよね?
このマーク。
なんてことはない五つの輪なんですが、
スポーツ好きの、ごくごく一部の人間にとっては、
ホント~~に極々一部だと思うんですけど、
それはそれは憧れなんですよね。
先日お亡くなりになられた、
あの有名なオリンピックおじさんと、
僕は下の名前が同じでして、
僕のオリンピック好きは、
もしかしたらそんなところに理由があるんじゃないかと、
ちょっと思ったり。。。
最近のオリンピックでは、
このマークが選手村に置かれるようになっていて、
選手がこれと一緒に写真を撮るんですね。
そんな様子がネットやSNSに
たくさんアップされていて、
オリンピック好きな人間にとって、
「あのマークを生で見たい・・・」という感情が、
どんどん大きくなっているのです(自分だけか?!)。
そんなおり、
SNS上にアップされているそのマークをみつけました。
しかも写っているのが日本の一般市民。
「えっ!これはどこだ? 日本なのか?」
と目が倍になるほどの驚きとともに、
その場所を探し出しました。
なんてことはない、
建設中の新国立競技場のすぐ近くでした。
日本橋にももうひとつあるようです。
あちこちにあるワケではないというところからすると、
国際オリンピック委員会が許可を出しているのかな?
真意のほどはわかりませんが。。。
と、いうワケで見てきたのが冒頭の写真です。
ただ輪が五つあるだけですが、なんと神々しい!(笑)
そのマークの威力なのでしょうか。
通りがかる人の誰もが、目を止め、足を止め、
皆、一様に写真を撮っていく。
人が入らないように写すのが難しいほどでした。
これは来年にかけて、確実に名所になるでしょうね。
大きな通りに木を植えるのって、
どうしてでしょうね。
そんな事考えた事ありますか?
数年前に僕は日光に行きました。
日光の手前には有名な杉並木があり、
そこを通ったのですが、
その高さや幹の太さは圧倒されるほどのものがありました。
その日光の大きな杉ではないにしろ、
道端に街路樹があるのはごく普通の光景です。
調べると様々な理由があることがわかりますが、
昔の人たちが考えたのは、
おそらくシンプルなことだったと思うのです。
・夏の暑い日差しを遮り木陰をつくること。
・強い風をしのぐこと。
・多少の雨をしのぐこと。
そんな動機で植えたのだと思えるのです。
でも最近、
維持する手間なのか、費用の問題なのか、
街路樹がないがしろにされている気がするのです。
枝を大幅に短くしたり、
根からまるごと抜かれてしまったりする木を
よく見かけます。
そう、そこであることが引っ掛かるのです。
それは暑熱対策です。
オリンピックが行われるときの都内の気温です。
様々な理由があるにせよ、
抜いちゃったり、切っちゃったりって、
逆をいってるような気がしてなりません。
路面の素材の研究など、
科学技術の粋を集めての対策は、
確かにすごいものがあります。
でも、屋外で行う競技、特にマラソンや競歩では、
少しでも気温が下がってほしい。
それが無理なら日陰をつくってほしい。
選手の身になれば、そう思うのは普通ですよね。
ならば、どうして切ってしまうのでしょうか。
今からでも植えられないものなのかと、
そんな理由から思うのです。
道に木々が多い方が、景観的にもきれいですよね。
スポーツを行う日本の競技場は、
国体(国民体育大会)を行うために建てられたものが多い。
そのおかげで、
日本のあちこちに施設があり、
スポーツ愛好者はその恩恵を受けてきた。
でも、
スポーツが教育の一環から、
余暇の充実に価値観がシフトしている昨今、
そのスポーツをどう楽しむか、どう魅力的にするか、
という事が問われる時代になっている。
先日、ある競技場でスポーツ観戦をしていたが、
どうも場内アナウンスが頼りない事に気がついた。
一部のスタンドにしか届かない音量で、
それを補う対策もみられなかった。
競技は充実した内容だったのに、盛り上がりに欠けていた。
同じ競技場にいた人から、
後日興味深い話しを聞いた。
上記のような目的で建てられた競技場は、
音響設備の面でエンターテイメントが考慮されていない施設が
多いのだとか。
初めてその競技の観戦に来た者にとって、
「面白かった」「また来たい」と思わせるからこそ、
集客や人気は右肩上がりになるもの。
そういう体験をしてもらう事を大事にしないと、
世間からソッポを向かれてしまいかねない。
東京オリンピックの影響もあり、
近年、マイナーなものも含めた様々な競技が、
その魅力を伝えようと躍起になっている。
好例なのは、
銀メダリストの太田雄貴が会長を務めるフェンシングで、
彼が自ら先頭に立って大胆な演出をして、
大きな話題を集めている。
オリンピックを翌年に控え、
スポーツの気運が高まっている今、
この機会を上手く生かしてほしいと思う。
オリンピックのチケットの抽選結果が発表されました。
まさか、こんなに競争率が高いとは。。。汗
ホント、プラチナチケットになってしまいましたね。
ご多分に漏れず、僕も全滅でした。
発表日の当該サイトの順番待ちは、
なんと120万人を超えました。
多くの人がオリンピックを見たいという意思が、
この結果に現れていて、
さすがオリンピックだなと驚いていたところです。
その一方で、
僕は、2002年のサッカーW杯でも、
1998年の長野オリンピックでも、
チケット争奪戦に参加しましたが、
制度的には、今回が最も整っていて、
これまた、さすがオリンピックだなと感心していました。
オリンピックのような国民的行事の場合、
誰もが見にいけるようにという配慮がなされ、
公平、平等という方針で実施されるのは、
当然なことだと思います。
でも、どなたかがネットで、
「都民が最大のスポンサーなんだから優遇を」
と仰っていて、
確かに、それはもっともだと思いました。
さらに、それを言うなら、
これまで各競技を支えてきたファンや関係者だって、
優遇されてしかるべきだと、
多くのスポーツファンは思っているかもしれません。
事実、今秋のラグビーW杯は、
古くからのファンが優遇される制度になっています。
ファンや関係者をファミリーのように考えるところが
ラグビー界にはあるので、
それはそれでいいなあと僕は思うのですが。
さて、
僕の周囲も軒並み落選者ばかりでした。
でも、そのなかに7件当たった方がいたのです。
彼は150万円分くらい申込みをしていて、
「もし全部当たったら車を売ります」
とかなりの覚悟がありました。
結果、20万円弱ほどの当選だったそうで、
150万の気合が20万を勝ち得たのかな、
とも思えます。
勝負強いとは、
こういうことを言うのかもしれませんね。
最近、
観光ガイドさんにお世話になる機会が
何度かあった。
彼ら、彼女らの話しはとても楽しく、
おかげで、
その時間はとても有意義な時間になった。
そこでふと疑問が湧いた。
どうしてガイドさんは、
人を楽しませることができるのだろう。
「そりゃプロだから当たり前でしょ!」
という意見はわかる。
でも僕の視点は、
どういう方法でその術を手にしたのか?
ということだ。
ディズニーランドのジャングルクルーズの船長は、
その話術でお客さんを楽しませることで有名だ。
そんな達人の域ではないにしろ、
ガイドさんは客を楽しませてくれる人がとても多い。
案内をすることと平行して
それもひとつの魅力になっている場合もある。
リピーターを増やしたかったり、
来てもらった人たちに楽しんで欲しいという
素直な気持ちだったり・・・。
彼らはそんな情熱を胸に、
日々、楽しい話題を探したり、
何度も口ずさんで覚えたりしているのだろうか。
もしそうだったら、
まるで落語家か漫才師のようだ。
僕が、ある観光地で立ち寄ったところに、
椰子の木がいくつかあった。
それぞれ木の上には大きさの異なる実がなっていた。
ガイドさんはそれを見て、
「椰子の実が大きくなる過程がわかって面白いわね」
と仰った。
そこは戦争の資料館で、
椰子を説明する理由は全くない。
だからそれは、
ガイドさん自身の好奇心からくる言葉だと思った。
それで気が付いた。
何か面白いことを探す好奇心が、
楽しい話しの根本にあるワケだと。
自分が見聞きした面白いことを
誰かに伝えたいという思いが、
たくさんのネタとなって蓄積され、
それが溢れ出ているのだと。
楽しい話しをする人の、
喋っていないときに注目すると、
もしかしたら面白いのかもしれない。
なぜなら、そのときが、
面白いことを探しているときだと思うから。
商いの考え方が変わってきている。
そう感じる瞬間が最近増えてきた。
新しい方法や価値観を生み出す人は、
いつの時代にもいるもので、
そういうものを見るたびに、
なるほど!と思うことがある。
なかでも面白いなと思ったのは、
「百食屋」と「未来食堂」の2つのお店。
ともに食事を提供する外食産業。
「百食屋」は、
その名のとおり1日100食しか提供しない。
提供数を限定することにより、
仕入れを調整して、材料の無駄を無くした。
また、残業時間をゼロにして人件費を抑え、
従業員の満足度の保っている。
これで、黒字経営をしているそうだ。
味も人気で行列ができる日も多く、
昼の12時になる前に、
100食を売り切ってしまうことも少なくないそうだ。
たとえ行列が長くなっても、
100食の時点でおしまい。
提供数を増やすことは考えていないらしい。
一方の「未来食堂」は、
お金を持っていなくても食事が出来るお店。
そう考えると夢のような話しだが、
タダなわけではない。
食事をする前に、
普通に「代金を払う」か「50分働く」かを選ぶ。
働く方を選ぶと、
厨房のなかで皿洗いや、
野菜の切り分け、調理の下ごしらえなどをする。
ユニークなのは、
代金を払って、なおかつ働いてもいいこと。
そうすることによって、
誰かに食事を1食分寄付できる仕組み。
生活保護受給者や、
自ら学費を払っている苦学生など、
生活に苦労している人たちを援助しようというのが
最大の目的。
とても個性的なお店だが、
こうした発想は、
儲けることが主眼となっていては、
出てこないのかもしれない。
社会や環境、働き方を違った角度から見つめ直し、
これまで二の次にされてきた価値観を
最優先することによって、
生まれてきた考え方だと思う。
社会の歪みが多い昨今だが、
こうしたユニーク発想は、
心地よい方向へのヒントなのだと僕は思う。
元号が変わるって滅多にないことで、
昭和から平成に変わるときは、
「明日からこれです」って
急に言われたのです。
だから結構大変だったという人が多いと思うんです。
それを踏まえてだと思いますが、
今回は1ヶ月前の発表で、
助かってる人は多いでしょうね。
特に事務関係。
それまでの書類は、みんな和暦の表記でした。
だから、昭和を平成に書き換える作業が大量に発生。
ひとつひとつ書き換えました。
たいへんでしたよね?
「平成」ってハンコが飛ぶように売れたとか。
そんな煩わしさはもう無くしたい。
事務処理上非効率。
そう思った組織では、和暦から西暦に変えていきました。
一般市民が目にするところでも、
実際そういうものが多かった。
電車の切符や定期(当時はICカードなんてなかった)、
ライブなどのチケット、
スーパーのレシート、などなど、
急には変えられないけど、
徐々に西暦に変えられていきました。
いまだに公共機関のものは、
和暦が多いけれど。。。
元号って何なんでしょうね。
そう思って調べてみると、
過去には新天皇の即位時以外にも、
改元していることがあるんですね。
意外ですね。
いっそのこと西暦に統一すれば?
そういう意見は当時も今も、
マスコミなどでも多く言われます。
でも元号があるからこそ、
お休みも生じるワケです。
何はともあれ、
世界的には働きすぎのニッポン人、
こういう時くらい羽を休めて、
時代の変化を見守りましょう。
コンビニの営業時間短縮が話題になっている。
以前、正月休みの深夜にコンビニに行った時、
ガランとした店内を見て、
客が来ないなら閉めちゃえばいいのに、と思ったことがある。
深夜から朝までの間に
いったいどのくらいの売り上げがあれば元が取れるのだろう。
その時間帯に限れば赤字という店は結構あるのかもしれない。
また、
休日に稼ぐレジャー施設も気になるところである。
掻き入れどきの週末だけ集客があり、
ウィークデーは客がまばらな施設は、
全国に割と多くあると思う。
1週間分の収益をほぼ2日で稼ぐという非効率。
もし、平日休みのサラリーマンが増えて、
週末くらいとは言わないまでも、
平日にそれなりの集客が増えたなら、
入場料は下がるかもしれない。
自分の損得には関係ないと言うかもしれないが、
細かな収支まで考えると、
実は多くの人たちが影響を受けているのだと思う。
価格競争が厳しい昨今、
様々な要因と微妙なバランスでモノの値段は決まる。
経済は巡っている。
コストが下がらなければ、モノの値段は下がらない。
概ね深夜には寝ているのに、
もしもの場合に備えてコンビニはやってた方がいい、
という意見があるとしたら、
それはムシが良すぎる気がする。
そのための人件費や維持費は何なのだと。
「無いより有ったほうが・・・」
ではなく、
少しの不便は受け入れる。
そんな大きな心の余裕があっても
いいのではないだろうか。
お肉は牛肉、果物はメロンしか食べない。
野菜もほとんど口にしない。
あれが食べたいと言えば、
食事中でも親が買い物に出ることも。。。
イチローの少年時代の話しです。
今では、
インタビューでも哲学的な発言があったりで、
そんな言葉の数々が本にもなっています。
彼から学ぶことは多いです。
尊敬に値します。
でも、彼の最も特徴的なところは、
成功をなし得た後ではなく、
少年の頃だと僕は思っています。
その頃について書かれた本の方が、
断然面白いと思います。
彼は放課後、友人と遊ぶのもそこそこにして、
家に帰って父親と野球の練習をしていました。
これは父親との約束で、
小学校を卒業するまで、
どんな天候でも毎日行ったそうです。
連日通ったバッティングセンターでは、
どんどん成長する彼だけのために、
経営者がマシンをグレードアップしていったのも、
有名な話し。
父親が買い与えたグローブは、
プロ仕様の最も高価なもので、
それを大切に使うことを教えたそうです。
その姿勢はプロになっても続き、
試合後に一人残ってでも、
道具の手入れを入念にしていたのです。
でも偏食だったことを、
親は怒りませんでした。
人の育て方って
なんなんでしょうね。
躾をすることと、
のびのび育てることの両立って、
すごく難しいと思うんです。
それに、
親が怒ることって、
方針から外れてることよりも、
親自身が気に入らないから、
という事の方が多い気がします。
そういう事を考えていると、
何かを成し遂げた人や、
斬新な発想をする人は、
どんなふうに育ったのかが、
とても興味が湧くのです。
彼は高校時代に、
ズバ抜けた能力と変わった考え方から、
宇宙人と言われていました。
その言い方も、
あながちウソでは無い気がします。(笑)

先日、
東京オリンピックで使用される、
ピクトグラムが発表になりました。
世界中から様々な人たちがやってくるオリンピック。
当然、使う言語も様々です。
英語、フランス語、スペイン語、中国語・・・
世界には多くの言語があり、
その数、実に7000以上もあるのだとか。
そんな来訪者たちをどう案内するのか。
選手も観客も、どの国からどんな人が来ても、
わかる方法。。。
そのために採用されたのがピクトグラム。
これがオリンピックで初めて採用されたのが、
1964年の東京オリンピックで、
それを機にピクトグラムが、
世界中に広まっていったのだそうです。
競技を表すものだけでなく、
トイレやレストラン、案内所など、
今では、あらゆる場所で見かけます。
もう生活に欠かすことのできないもの、
と言っても過言ではありません。
そのデザインを見ているだけでも、
僕なんか面白いなと思うんですが、
みなさんはどうでしょうか?
以前NHKのドキュメント番組で紹介されていたのは、
その1964年のときのこと。
当時の若手デザイナー11人
(今からすればすごいメンバーらしい)が、
それぞれ仕事を終えた後に旧赤坂離宮の地下に集まり、
来る日も来る日も考えたというお話し。
彼らは、そのピクトグラムのほかにも、
聖火のトーチやポスター、聖火台などを
創作していったのだそうです。
オリンピックはスポーツの祭典ですが、
こうしてデザイナーが英知を結集させたり、
競技場の建設に、多くの精鋭建築家が関わったり、
様々な分野で物事が進歩する一大事業です。
そんな移り変わる様子や、
それに関わる人たちの心意気を見ていくのも、
とても好奇心をそそられるのです。
今年も東京マラソンの季節がやってきました。
この時期になると、
普段はランニングに関係ない雑誌でも、
走ることを特集したりしています。
なんかランナーが主役って感じがして
いいなぁなんて思います。
市民ランナーにもすごい選手がたくさんいて、
オリンピックを狙うエリート選手に飽き足らず、
僕はそういう選手にまで注目しています。
なかには、
週5日、朝7時から夜9時まで働いて、
42キロを2時間16分で走る35歳の市民ランナーまでいて、
ホントすごいなぁと感心しています。
フルタイムで仕事をしているのに、
そのうえ練習時間を捻出している。
そんなハイレベルな市民ランナーは、
日本全国にたくさんいるのです。
公務員ランナーの川内くんが有名ですが、
彼のように、大会があるごとに各地を飛び回って、
いや走り回っているランナーは、
実は大勢いるのです。
去年、ここにも書きましたが、
マラソンは、どんなに能力があっても、
習慣がないと記録が出せない競技。
そのレベルを維持するために練習を続けている彼らは、
練習が大嫌いな僕にとっては、ホント尊敬です。
そんな市民ランナーと話すと、
有名無名を問わず、
彼らはホントに気さくでいい方が多く、
それも大会の雰囲気づくりに
一役買っているような気がします。
さて、今年の東京マラソンは、
東京オリンピックを目指すエリート選手の争いが、
報道の焦点になっています。
これはこれでメチャクチャ面白いと思います。
いつにも増して凌ぎを削るレースになるでしょうし、
僕も沿道で応援します。
でも、市民マラソンの主役は、
やっぱり一般の名も無き市民ランナーだと思います。
そんな多くの市民ランナーが盛り上がって、
走る楽しさが多くの人に伝わればいいなあと、
僕は思います。
ブラタモリという番組がある。
タモリさんが様々なところに出かけて行って、
その土地その土地の特徴を
おもしろおかしく説明してくれるNHKの番組だ。
観光や歴史、文明、地理、地学などなど、
町の成り立ちとかに興味があれば、
とても楽しく見れると思う。
もちろん学問的なことばかりでなく、
石碑の文字が1字欠けてヘンな意味になってて、
なぜこうなっちゃったんだ?
みたいなことも多い。
また、つり橋のてっぺんまで上ったり、
地下の水路のような立入禁止エリアに入ったりと、
普段は見れないところが見れるのは、
知的好奇心を大いにくすぐられる。
その番組で、
先日、僕の住んでる町が取り上げられ、
その放送を食い入るように見た。
駅周辺のロケのあと、
タモリさんご一行は、
僕のウチの方に向かってくる展開になった。
なんとなんと!である。
そしてウチの前の交差点のところで止まり、
同行しているエライ先生が、
タモリさんに諸々解説をしている。
通りがかりの住民にもインタビューしたりと、
ちょっとしたロケだった様子。
それもそのはず、
ウチがあるところは、以前に徳川家の御殿があり、
その防衛上、道の作りが鍵型をしているという特徴があるのだ。
その後、ご一行はウチの前を通り、裏にある競技場へ。
ここも以前は川だったのが埋め立てられたところで、
その痕跡もタモリさんは興味津々。
映るところほぼ全てが、
僕が日常で歩いているところで、もう大興奮。笑
録画もしたので、
また見直してみうようと思う今日この頃である。
少し前の文芸春秋に、
ある記事が出ていました。
元号が平成に変わるとき、
誰がどう決めたのか、という記事です。
なんせ「事後」では間に合わないので、
生前のうちに動かないとなりません。
しかし、それが知れ渡ると不謹慎と言われかねない。
そんな様子が生々しく書かれていました。
誰に考えてもらうのか。
お役所や大学教授など偉い方々が
右往左往した様子が伝わります。
僕が関心があったのは、
「平成」のほかに、候補にはどんなものがあったのか?
他にはあと2つあり、
「修文(しゅうぶん)」と「正化(しょうか)」
だったのだそうです。
そんな極秘中の極秘事項。
大人の事情なんて軽い言葉では片付けられない、
重苦しい緊迫感を感じました。
そのうちテレビのドキュメント番組にでもなりそうな、
そんな気さえします。
元号にはどんなものが相応しいのか。
それを考える人はどんな人で、
それにどんな意味をこめるのか。
そんなことはよくわかりませんが、
次のものは、
将来に対して希望を感じられるものがいいなと、
個人的には思います。
発表は4月1日。
なぜかエイプリルフール。
フェイクニュースがたくさん出なければいいのですが。。。
「夢を持て」
世間では、特に子どもに対して、
いろんなところでこう言いますね。
僕も夢を持っていた方がいいと、
最近まで思っていました。
でも、
「そんなこと言っても・・・」
という人は意外に多い。
彼らは、
そんなに憧れや情熱を注ぐものが見つからない、
と言います。
価値観にもよりますが、
人生は充実していた方が面白いと思いますし、
それには夢や目標があった方がいいと僕は思っていました。
下記の考え方に触れるまでは。
それは「夢組」と「叶え組」という、
2通りのタイプの人がいるということ。
去年、こういう考え方を耳にして、
なるほど!と思いました。
夢組とは言うまでもなく夢を持っている人たち。
で、もう一方の叶え組は、
これがミソなんですが、
夢を持った人たちを応援する人たち、協力してくれる人たち。
この考え方を聞いたとき、
僕はすごく腑に落ちました。
目指すものが無くたって、
これなら充実感満載じゃないかと。
ちょっと受身な気もしますが、
なんのなんの。
世の中の母親って、まさにこれだよなと。
教師やコーチだって、そういう類ですよね。
日本にボランティアが定着しつつある昨今、
こうした考えの土壌が出来つつあるのでは?
と思うのです。
誰かを後押しする。
そういう考え方がもっと根付けば、
偉い人に夢を押し付けられて困惑、
なんてことも減るのでは?
それに応援するって、
人同士の繋がりが生まれますよね。
ちょっといいと思いませんか?
2019年の大河ドラマ「いだてん」。
金栗四三という人物が主人公です。
この人、日本のマラソンの父と呼ばれています。
なんとあの道頓堀のグリコのモデルも、
この人というウワサがある伝説のランナーです。
一般には、箱根駅伝を作った人として知られていますが、
実は、箱根駅伝は副産物であって、
本来の目的が別にあったそうで。。。
金栗は、
日本選手が世界で活躍するという夢を持っていました。
そんなレベルの選手が育つために、
ある構想を思い立ちます。
それがアメリカ大陸横断駅伝。
明治の頃の人の考えることはデカいです。
その予選を行おうとして、
誕生したのが箱根駅伝なのだとか。
箱根のあの険しい山道を登る理由は、
ロッキー山脈を越える想定なんだそうです。
マラソンや駅伝が定着した今でも、
あんな坂を登るものはほとんど無く、
とんでもない発想。
(日光のいろは坂を登る駅伝がありましたが、
消滅してしまいました)
彼の意思は、大学生が競う事とか、
日本が盛り上がるとかいう事ではなく、
世界を目指していたところが凄いところですね。
そんな功績から、
箱根駅伝の最優秀選手には金栗四三杯が贈られています。
さて、
なぜ大河のテーマが金栗なのでしょう。
それは日本人で初めてのオリンピック選手が彼だからです。
2020年に向けて、
オリンピックにまつわる事をテーマにしたと思われます。
僕ら陸上競技好きのあいだでは、
2017年の春頃から、
金栗が主人公という事が伝わっていました。
でも、陸上好きのあいだでも、
彼に詳しい人はなかなかいませんで。。。
というわけで、
ドラマ(フィクション)をほとんど見ない僕が、
今回は見てみようかなとちょっと思っているところです。
でも1年間、およそ50話も
追い続けられる自信はありませんが。。。汗
1年を振り返る時期になりましたね。
今回は、僕が今年撮った写真の中から、
ひとつ選んで紹介しようと思います。

慶応大学の日吉キャンパスで撮ったものです。
(ちなみにiPhoneで撮影)
いつものように陸上競技を観に行っていたのですが、
この時は、たまたま西向きのスタンドにいたので、
陽が沈んでいく様子や、
だんだん雲が染まっていくのがよくわかりました。
太陽が沈んで十数分間の明るさが残っている状態のことを
「マジックアワー」と呼びます。
明るいのに光源(太陽)が見えないので、
影がないという特殊な状況で、
なおかつ夕陽や雲が様々な色に変化するという、
写真を撮る人たちには貴重な時間なのです。
夕陽の色はある程度読みがききますが、
雲の様子はそのときになってみなければわかりません。
雲の高さや見る角度によって、
赤やピンクやオレンジに染まり、
時間が進むにつれどんどん変化します。
でもそんな雲を見れたら、
それはホントに幸運。
プロの写真家でもいいシーンには、
なかなかお目にかかれません。
そんな偶然に感謝した夕暮れの1枚でした。
先日、
ゆるキャラグランプリの人気投票結果が発表され、
埼玉県志木市の「カパル」が、
ご当地部門の1位になった。
今や、全国各地に様々なゆるキャラが存在する。
その可愛さや愛嬌が世の中に浸透しているが、
認知度向上や販売促進以外にも、
もうひとつの意味があることを、最近教えてもらった。
それは簡潔に言えばクレームを抑止すること。
人間は、硬く言う相手に対しては、
反射的に硬く返すところがある。
これは組織でもそうで、
例えばお役所とか大企業が発信することは、
硬くなければならないという固定観念みたいなものがある。
だから、硬い組織が柔らかい態度で発信すると、
クレームがくるのだそうだ。
「なにをふざけているのか」と。
そんな対策に頭を痛めているところは多いと、
かつて聞いたことがあった。
でも、ゆるキャラを設定しておいて、
情報発信をそれにさせる。
たとえミスや急な方針転換があっても、
ゆるキャラが「ゴメン」と誤れば、
世の中は受け入れてくれることが多いそうだ。
また、そんな人間味とも思えるところが垣間見れると、
かえって親近感まで湧いてくることもあるという。
キャラクター設定はそれだけ影響が大きいのだ。
ネットやSNS隆盛の昨今で、
多くのお役所や企業がゆるキャラを活用し、
その個性を上手く利用しているのは、
そうした理由もあったのだ。
ゆるキャラに喜ぶ子どもたちには、
寛容さが育まれていくことを願いたい。
「最近卓球やってる?」
これ、関根勤がすご~い昔に、
ラジオで言ってたギャグなんです。。。
以前はそれくらいマイナーなスポーツだった卓球。
それが今や、
「世界一のリーグを目指す」と関係者が言うくらい、
すごいリーグが創設されるほどになりました。
このリーグをTリーグと言いますが、
先日の開幕戦は、
ショーアップされたカッコいい演出で場内を沸かせ、
新しい時代が来たんだなと感じさせました。
卓球がこれだけ認知度が上がったのは、
やはり愛ちゃんの影響が大きいでしょう。
彼女を広めたのはバラエティ番組ですが、
その存在は次世代の競技者を増やし、
その子どもたちが今の日本代表選手に成長しています。
スポーツニュースでも、
トップニュースとして取り上げられるほど、
日本の卓球は、世界でも優勝を争えるほどになりました。
その背景には、
卓球台が一般家庭にでも置ける大きさだったという事も、
見逃せないところです。
幼いころから四六時中練習できる環境と、
熱心な親(コーチ)が、
子どもをみるみる成長させたのも大きな要因でしょう。
さて、このTリーグのですが、
世界各国から強豪選手を呼んできました。
助っ人としてなら、
サッカーや野球など他の競技でもやっていますが、
Tリーグの面白いところは、
彼らを対戦相手にしてしまったところだと思います。
どういう事かというと、
日本にいながらにして、
オリンピックのシミュレーションが頻繁にできるという事です。
この試みがどういう結果を生むか、見ものです。
ヨーロッパの一部の国では、
ゴールデンタイムに放送があるほど人気の卓球。
今後、日本では、どのように発展していくのでしょうか。
楽しみにしたいところです。
円形の交差点のことを、
ラウンドアバウトと言います。
ヨーロッパにはたくさんあって、
自転車レースの中継とかには、よく出てきます。
アナウンサーが「ランダバウト」なんて、
「d」と「a」を一緒に発音したりしてますね。
日本では僕は見たことがないです。
日本にどのくらいあるんだろうと調べてみたら、
全国で42ヶ所(2015年時点)と、
実は意外に多いんですね。
この交差点には信号は無く、
車は皆同じ方向に回ります。
そんな事から、大きな事故が起きにくく、
設備費、運営費が低く抑えられるという
メリットがあるそうですが、
通行量が増えると渋滞を助長しやすいのだそうです。
日本に少ないのは、
そうした理由なのかもしれません。
僕がこのラウンドアバウトを実際に通ったのは、
2009年にベルリンに行ったときのこと。
戦勝記念塔の周りに道路が4車線ある交差点で、
宿から空港に向かうタクシーで通りました。
下記の写真がその交差点です。
ちょっとかっこいいですよね。

交差点進入時にあまり減速もせず、
それどころか交差点の中ではスピードをあげて、
カーチェイスのように他の車をかわしながら
付きぬけました。
結構こわかったですよ~(汗)
もしかしたら2~3周くらい走ってたかもしれませんね(笑)
「いつもより余計に回ってます~」と
染之助染太郎のように言われても、
僕は笑っていなかったでしょうね。
このために生きてきた。
これを叶えるためにずっと努力してきた。
もし、何かを犠牲にして願いが叶うなら、
そうしたいところだが、
残念ながら、代わりになるものは何も無い。
門は狭く、努力が報われるとは限らない。
しかも、一生に一度あるか無いかのチャンス。
箱根駅伝の出場をかけた予選会が、
明日、13日(土)に行われる。
あとは、
ただ己を信じ、今までやってきたことを信じ、
勇気と覚悟をもって、スタートラインに立つだけだ。
カープが優勝しましたね。
ライオンズも秒読みの段階をむかえています。
プロ野球の優勝が決まると、
テレビで流れる恒例のビールかけ。
あの選手や監督の喜びの表情はいいですね。
野球好きでなくても、
一度はやってみたいと思ったことはないでしょうか。
僕はそれを見ていて、
「合宿所の風呂場で仲間とビールかけをやってみた」と、
以前後輩が話していたのを思い出しました。
でも彼は、
「あれって相当なモチベーションがなければ、
何十分も出来ないですよ」
とも付け加えていました。
確かに、
キツい練習に耐えたり、ケガを克服したり、
日々、ファンやマスコミからのプレッシャーに晒されていたり、
そういうことがあるからこその喜びなのでしょうね。
カープは3年連続の優勝ですが、
ライオンズは実に10年ぶりになります。
優勝未経験者や経験していても遠ざかっていた選手は、
その喜びはひとしおなのかもしれません。
まあそれに、
体育会系の勢い的なものが加味されてることは、
否めませんが。
みなさんも、
一度試みてはいかがですか?
できる場所を見つけるのが
なかなかタイヘンだと思いますが(笑)
あ、そうそう。
前述の僕の後輩は、許可なくやったものだから、
エライ怒られたらしいですよ(笑)