2006年2月アーカイブ

良き友との別れ

平成元年式のマイカーをついに手放す決心をした。
クルマの正式な名前は「ニッサン スカイラインワゴン GTパサージュターボ」

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思えばこいつとも長い付き合いだった。
結婚して間もない頃、その当時住んでいた荻窪で購入。嫁の両親と住むことになり家探しで津田沼に移転し、今の千葉市に移るまで、このクルマはいつも活躍したものだ。それまで嫁の両親が住んでいた奈良県までも何往復かし、仕事にも駆り出され、遊びにも連れて行かれ、それ故に思い出も沢山詰まった一台だった。それを手放すことにした。
現在のクルマから見れば当然だが、エアバッグはないし、オーディオもラジオ以外にはカセットテープだし、税制の優遇を受けられるような資格もないし、燃費も著しく悪い。さすがにクルマの趣味は今はなくて、移動の道具になっている場合がほとんどだが、購入した当時はかなり惚れ込んで買ったものだ。いや、今でも本当はこのクルマ、維持費のことを考えなければ乗り続けたいと思っている。だがしかし、である。いたるところにガタが出てきている。何年か前にも京葉道路で走行中、動かなくなったこともあった。それ以降車検のたびに大きな出費が出ていくことになって、さすがに来月を車検満了に控え考えてしまった。もう意地で乗ってる場合じゃなくなった。
そういえばこのクルマ、結構レアな車種なのである。スカイライン自体は珍しくないが、それのワゴンである。しかもその中でも更に生産台数が少ない上級グレードのGTパサージュターボというものだ。このスカイラインはいわゆる「R31」型といって、スカイラインがスポーティー路線からその当時時代の空気だったハイソでソフトなイメージに転換し、歴代のスカイラインの中では特にスカイライン・ファンには一番人気がなかったというジェネレーションである。そんなわけで、5ナンバー枠いっぱいのボディの割には中身のうすい感じのするR31である。とはいえ、一部のスポーティー路線に変更した2ドアスポーツクーペに「GTS-R」なるグレードが登場。それは当時の市販車で競う全日本ツーリングカー選手権のグループAに出場するために限定生産されたヤツであった。後にこれが無敵のGT-R(R32型)の礎になったとも言われている。そんなころのワゴンで、意外に当時としては低速ではハイパワーの特性だった。
もうすぐこのクルマともお別れである。
次のヤツはやはりニッサンのティーダというコンパクトカーだ。サラリーマンが買うにはまあ手頃だし、何よりいつ故障するかの不安もない。しかも手放すクルマに比べれば格段に燃費も良い。小さいから取りまわしも楽だし、それでいて室内は思った以上に広い。東京に住んでいた頃はそれでも必需品までは思っていなかったが、私の住んでいる辺りはクルマがないと生活するには少々不便だ。それ故に贅沢品ではなく必需品である。
この17年間、本当にご苦労さま。そしてうれしいこと悲しかったこといろいろあったけど、思い出をありがとう。
本当にいまはそんな気持ちでいっぱいだ。

サーカスを観に行ってきました!
サーカスは思い出せないくらい久しぶり。幼い頃観たよな気がするぐらい遠い記憶です。なんとなく獣くさくてなんとなく不気味であまりいい記憶じゃないな。

今回は横浜に来た『ポップサーカス』を親友のチビッ子と一緒に観にいってきました。
最終日とゆうこともあり、会場は満席でファミリーやカップルやらでかなりの賑わいでした。ポップコーンやチュロスの甘い匂いと、子供たちが露店で売っているおもちゃを手にはしゃぐ姿が不思議空間の演出になって私も子供みたいに浮かれていました。始まる前からワクワクして隣のチビッ子より忙しなくキョロキョロ♪

爆音のあとエンターテイメントは一気に加速して笑いと驚きの連続でした。
ありとあらゆるところから人が飛んでくるは、超柔軟人間がぐにゃんぐにゃん、立派なシェパードがファイーヤーループをくぐるは、その後を小さなチワワがループの下を普通にスルーして会場ドッカン☆ドッカン☆沸くはでスリリングで口をぽかーんとあけっぱなしで最後までものすごく楽しかったでーす♪

シルクドソレイユは観たことありますけど、確かにステージの規模は小さめですが、パフォーマンスはやはりそこはプロなのでひけをとらない素晴らしいものでした。

危うくバク宙2回転が出来る気になってやってしまうとこでした。ふーあぶない
久々に童心に帰り楽しいひと時でした。チビッ子よりも大人の私たちが満喫してしまいました☆
機会があったら是非サーカス観にいってみてください。小さくても意外と面白いですよ。

スノーボードクロス

                            text by 赤様
 ボンジョルノ~ッ!

 2月8日のブログで取り上げた、スノーボードクロスという競技。その女子の競技が17日(金)に行われ、大興奮のレースになりましたので紹介します。

 日本から出場の藤森由香。予選、1回戦と勝ち抜いて迎えた準々決勝のレースが、まさにスノーボードクロス特有のレース展開になりました。

 4人で争い上位2人に入れば、次のラウンド(この時は準決勝)に勝ち抜ける試合形式。スタートで出遅れた藤森は、最後尾を滑走。でも諦めずに懸命に後を追います。抜かれまいと先を滑る選手のコース取りに苦労しながら。

 すると勝負の神様がここでいたずらをします。コース中盤の急なカーブ。藤森の前を滑る2位と3位の選手がなんと転倒! 咄嗟の判断でそれをかわした藤森はその順位を保ってゴールし、準決勝への権利を手にしました。ゴール後はテレビ画面に向かって喜びを爆発させました(最終順位は、7位でした)。

 でも、サプライズはこれだけでは終わりませんでした。勝負の神様は誰も予想しない結末を用意していました。

 決勝のレース。優勝候補筆頭のリンゼイ・ジャコベリス(アメリカ)が、スタート良く飛び出しトップを奪います。すると後ろを滑るうちの2人がまたもや転倒! もう1人との差も開き、序盤で独走体勢になってしまいました。

 金メダルは決まったと誰もが思える展開。余裕の滑りでゴール前の最後のジャンプ台に。ジャコベリスはゴール周辺の観客席からも見えるそこで、ジャンプをしてボードを手で掴むハーフパイプ競技のパフォーマンスを披露しました。しかし、それが余計なことでした。こともあろうに着地に失敗し転倒。そんなことがなければ抜かれる心配のない2位のターニャ・フリーデン(スイス)に抜かれ、掴みかけていた金メダルを逃してしまいました。こんなクライマックスで絵に描いたようなドラマ。勝負はゴールラインを跨ぐまで決まらない。最後まであきらめるな。そんなことを再認識させられたレースでした。

 どうやらこのオリンピックで一番印象に残る出来事になりそうです。

私はデザインの世界に飛び込んで、今年で「ふたむかし」以上になる。
当然のことだが、私の若い頃はデザインワークは全てアナログ的手法が使われていて、カンプを作ること一つとっても、手作りの作業がほとんどであった。デザインが起きると次は印刷にまわすための版下づくりが待っている。この版下づくりは版下屋さんに外注に出す場合もあるが、ページものでもない限り、自社内で済ませることが多かった。校正が終わって版下が完全になれば、次は色指定だ。版下にトレシング・ペーパーを貼って、そこに色の指定を書き込む。写真は合い番をふって、大きさやトリミングの指定をする。ぼかしを使用する場合は、モノクロのブラシ版をブラシ屋さんに外注し、添付する。
というような、まるで通過儀礼のような、今考えると面倒な段取りをいくつも経て、初めて印刷屋さんへ入稿していた。
月日は変わり、今ではコンピュータによる制作手法が主流、というよりそれだけになった。
Macintoshがデザインの現場に出始めた頃は、デザイナーは皆期待していたように記憶している。デザインワークとともに制作作業全般においての時間の短縮とコストの低下を狙って、そこでの差額が売上に貢献すると思っていた。あるいは作業の軽減で時間的なゆとりが生まれて、今以上にデザインに注ぐ時間が出来るのではないかと。でも現実はどうだろうか。
さらに、デザイナーとして、コンピュータの使い方はこれで良いのだろうか、という疑問も個人的に持っているし、もっとDTP業界のように、以前のアナログ時代には考えも出来なかったような各種の自動処理の導入による制作作業のようなことがデザインにおいてどれだけ出来るのか、どこまで出来るのか、そのあたりを模索してみたいと思っている。人が考えることがプロセスの大半を占めるデザインワークなので、製版やDTPのように恩恵を受ける部分は少ないかも知れない。果たして以前の鉛筆やマーカー類などのようなデザインツールの代用品としてだけで良いのか。
すぐに解答が見つかるとも思えないが、再度Mac導入の頃の初心に戻ってそのあたりを私なりに今一度検証してみたいと思う。

 澄み渡る青い空。太陽を背に回転をかけながら宙を舞う。ボードの切っ先を天に向け、テールで雪を舞い上がらせる。きらきら光る雪の結晶と舞い上がる姿は幻想的で神憑りだ。
 空と大地を遊ぶってこんな感じなんだなーと思う。トリノの大舞台でパフォーマンスを見せる彼らに「Whooooooooooo!!」と声を出しワクワクしながら見ていました。
 今回トリノオリンピックで一番興味があったのがスノーボード競技なのだ!
 若い選手が多く、アグレッシブで怖いもの知らずな攻めの姿勢が気持ちいい。遊び心満載!!
 残念ながら日本選手は予選通過とはならなかったけど、結構魅せてくれたと思う。個人的にはキャラの濃さもさることながら成田選手はもっと見たいと思わせる選手だ。盛り上げ方がうまいと思う。そこに何かやってくれると思わせる期待感がある。他3人にも共通していえるけどもう少し見たかった。不完全な形で終わってしまったのが悔しい。ポイントを競う競技の難しさなんだろうか?日本人の宿命か、スケールの大きさや、華が足りないのかなと思う。
 でも会場全体としてももう少し盛り上がりが足りなかったと思う。ノリがたりなかった。意外と観客がおとなしく感じたな。ハーフパイプは一体感とかそうゆう雰囲気の濃さが、見たこともないパフォーマンスを見ることが出来るんじゃないかと思う。
 だから私の提案!!フィギュアスケートみたいに曲をつけたらいいと思う。観衆もノリやすいし、ライディングもノレるのでは?

 それにしても、国際映像なんだろうけど、確かにハイビジョンで画像は美しいのだけどフレームに不満があるなぁーせっかく高く飛び上がっているパフォーマンスなのに高さがわかり難いフレーミングがものすごく残念。あーこれは生を見に行かなくては

 何をしてくれるのだろう?どこまで飛ぶだろう?そんな期待感が見ているこちらを惹きつける。
 しかしまぁよくあんなに人間が飛ぶもんだな~こんな奴等を撮れたら最高だろうなー

リュンリュン*~*~*~水瓶座のあなた 気が多すぎるわ。親しい人にうんざりされちゃうわ

興奮をくれたアスリートたちに感化されて早めに書き込みました。情報が古くなっていたらあしからず
トリノのリフトは意外と早い  ごきげんよう

トリノ三昧!

                            text by 赤様

 みなさん、寝不足になってませんか?

 オリンピックもまだ序盤ですが、日本選手に勢いがないですね。勝負ですから勝つことを目指すべきなのは当然の話。ですが、オリンピックに出たかったんだという子供の頃からの思い。おそらくどの選手もそんな思いがあるはず。やっぱりオリンピックはスポーツをやってる人の夢です。だから、出ている選手にはスポーツの楽しさを、オリンピックに出られる幸せをかみ締めて欲しい。そんなシーンを僕らも観たいです。

 オリンピックに出られる幸せ。オリンピックを観れる幸せ。今、オリンピック三昧の日々です。

 スキーモーグル女子の上村愛子。競技後には、「悔いは無い。でも・・・」と、やはり残念な様子が漂っていた。エアはコーク720(セブン・トゥウェンティ)という3次元的回転をする大技を披露。観ていた方はおわかりだろうが、素人目にも難しそうでアクロバチックな華麗な技だ。だが、モーグル競技ではエアの得点に占める割合が25%しかない。エアに大技を使わなくてもターン(こぶ斜面を滑る技術)とタイムに秀でた選手に破れてしまった。

 彼女は前回のオリンピックでは思うような結果が出なかった。また縦に回転するエアの解禁など、度重なるルール改正にも苦しんだ。この数年前まで精神的にもどん底の状態を経験していた。そんな状態のとき最も打ち勝たなくてはならないのは、自分自身にある弱い心。彼女は「強くなるために自分の弱さを認めた」ことでそれを克服した。大好きなモーグルで、もう一度オリンピックに出るために。

 今度のオリンピックでは残念ながら最良の結果は出なかった。しかし、それを目指した課程で、かけがえのないものを彼女は手にした。もしかしたら彼女の将来にとって、そのことの方がメダルよりも価値があることになるかもしれない。

年のせいか、この頃は昔を懐かしむことが多い。
そんな中で先日わがデザインチームのスタッフの「ワンダーズ」のひとりのデザイナーSと、ひょんなところで話が盛り上がった(ひょっとして私だけかも)。それは・・・昔のお笑い芸人たちだ。

今以上に個性的なキャラクターが多かった。

わたしの記憶で最も忘れられないのが、「獅子てんや瀬戸わんや」である。この二人、ひとりは大柄の眼鏡(獅子てんや)にもうひとりは背の低い眼鏡で禿頭(瀬戸わんや)というコンビである。有名なフレーズは「たまごの親じゃ、ピヨコちゃんじゃ〜…」だ。そのせりふを吐いていた。かなり東京の方では人気絶頂だったが、わんやが病気で倒れてからはコンビ解散、その後わんやが亡くなり、てんやも芸能界を引退してしまった。ボケのてんやにツッコミのわんやのやりとりが可笑しくて、特にのんびりしたボケをかましたときのわんやのイライラしたレスポンスもこの漫才の醍醐味でもあった。

ナンセンスな笑いのカリスマもいた。林家三平だ。息子のこぶ平は今や「林家正蔵」を名乗り、時の変遷を思わずにはいられないが、当時の三平はタダモノじゃなかった。落語界ではある意味異端児とも言えるような画期的な落語家だった。ま、大半は古典落語の印象は薄いのだけれども、あの時代の気分ともシンクロしていたように思う。ナンセンスなコンセプトのギャグで当時絶頂だった赤塚不二夫に通じる理不尽的笑いがあるように思う。これからというのに早くに逝ってしまったのは、やはり天才の宿命か。(「好きです、好きです、好きです、うっ!! ヨシコさ〜ん」は死ぬまできっと忘れまい。)

東京ベースで活躍した漫才師で「晴乃チック・タック」というのもいた。持ちネタフレーズは「い〜じゃなぃ?」だった。晴乃タックこと「高松しげお」はコンビ解消後、俳優もやっていて、ウルトラマンのシリーズにも出ていたので、ご存知の方もいるかもしれない。

そうそう、「Wけんじ」というコンビもいたな。東けんじと宮城けんじという二人だ。「やんな!」というキメぜりふだった。こちらも東京漫才の目玉だった。東けんじが1999年に亡くなった後は、宮城けんじは浅草の舞台で漫談をする一方で司会や講演などで活動していて、2005年亡くなっていることから、かなり晩年まで現役だったようだ。

「てんぷくトリオ」というのも人気者だった。三波伸介、伊東四朗、戸塚睦夫という3人組だ。三波の「びっくりしたなぁ、もう〜」が印象的。戸塚が病気でなくなってトリオとしての活動は自然消滅したものの、それぞれ独立したキャラクターで、人気者になっていった。伊東四朗は「伊東家の食卓」の大黒柱として現役だが、三波も亡くなるまでは国民的タレントだった。NHKの「減点パパ」は当時人気番組の一つだったな。

いやいや、忘れていませんとも。「ザ・ドリフターズ」。伝説的な長寿番組であった「8時だよ!全員集合!」も最近DVDが発売になって、私のような年代が結構買っているそうな。納得。このドリフターズは、70年代中盤で荒井注(「なんだ、ばかやろう」が流行ったなぁー)が引退、その後新メンバーに志村けんが加入した。昭和41年の日本武道館で行なわれたビートルズの来日公演の前座を勤めたことは有名な話。「ドンキーカルテット」という楽器演奏を伴ったコミックバンドの主要メンバーだった小野ヤスシ、ジャイアント吉田もかつて在籍していた。

まだまだ出てきそうだ。
東京ぼん太:唐草模様の風呂敷を背負った栃木出身の芸人。
春日三球・照代:「地下鉄はどこから入れるんでしょう?」「考えてると寝らんなくなっちゃう」のネタでお馴染み。
柳亭痴楽(りゅうていちらく):十八番が新作落語の「痴楽綴り方狂室」。語り以上にその顔の表情が独特だった。

関東圏の出身なためか、こんな芸人ばかり羅列しているが、関西系のお笑いも結構好きだった。ところで、こうしてみると私の子供の頃のお笑いのアイドル達は今やすっかりあの世に旅立っていった方が多いのに驚いた。あれほど一世を風靡しておきながら、今では特定の年代の記憶にしか存在しない、というのも何だか悲しいものである。きっとそのスタイルや生き方などはお弟子さん達になんらかのカタチで引き継がれているんだろうと思う。とはいえ今でも現役で活躍している人もいる。淘汰され生き残った選ばれた人と言えるかも知れない。

さて、もうひとつ驚いたことがあるのだ。実はこの話をしていたワンダーズのデザイナーSは、二十代にもかかわらず、いくつかの芸人のギャグを知っていたのである。本人も何故知っているのかよく分からないと言っていた。

年月が過ぎても良いものは必ず残るのだ。

 最近社内のゲーム好きとゲームの話をすることがあり、一年前に途中でなんとなく中断してしまったDRAGON QUESTⅧ(以下DQⅧとする)を再開しました。
 ゲーム好きになったのは大人になってからで、それまではしたことがなかった。子供の頃は、父がゲーム機を毛嫌いしていたので買ってらえなかったしやったことがなかった。実はいまだにコントローラーと一緒に動いてしまうほどど素人。でもDQは昔から好きでⅣⅤⅦは立て続けにクリアできた。時間はそれぞれ100時間はゆうに超えている。私はアイテム収集と無駄にレベル上げ固執するので時間がかかる。それと単調な音楽のせいでゲームをしながら寝てしまい朝を迎えることはよくあるので、寝ている時間の方が多いのかもしれない。
 中断していたDQⅧは、大詰を迎えていたのにもかかわらず一年近くも放置されていた。やり始めたものの何がどうなっていたのかいまいち思い出さない。旅の仲間に聞いてみるとどうやらラスボスと戦うための準備段階らしい。無駄に主人公たちは強かったのでラスボスは楽に倒せるのだが、対峙するためのアイテムが足りないらしく、当時の私は物語が進まないので飽きたようだ。
 そんなこんなで、ラスボスに辿り着き以外にあっさりと倒しクリアしてしまった。
 エンディング後の隠しゲームで遊んだ後、なんとなく旅の足跡記録を見ると、旅仲間の偉い人から総括コメントがあった。私が言われたコメントは、
「こんなに時間をかけたお前さんは、電源つけっぱなし君じゃな」
と、言われました。所要時間112時間33分でした。
さらに、
「戦闘回数は1000回を超えておる。褒美は出ないが褒めてやる」
との、お言葉をいただきました。

そういえば、上司にもこれに近いことを言われました。
時間かければいってもんじゃなですよね。はー。。。ゲームも仕事も少し似てるなと思うこの頃です

*リュン*リュン*本日は、天の啓示が見えませんの*.*.*..*.おやすみですわ
明日は晴れるといいですね。

                            text by 赤様
 さあ、オリンピックまでいよいよあと2日! 今日はトリノオリンピックの見どころを紹介します。まず注目選手を何人かピックアップ。

 今回出場する日本選手は、30歳を越えたベテラン選手が多いのが特徴です。スピードスケート女子500mの岡崎朋美は34歳。今シーズン2度もワールドカップ(※)の表彰台に登っており調子は上向き。世界レベルの大会に出場するようになった十数年前、ファンクラブが日本よりも先にヨーロッパで出来たという逸話も残っています。

 スキージャンプには3人もの30歳越えの選手がいます。岡部孝信は35歳。数度のルール改正に振り回され、長い間世界レベルからは遠ざかっていました。しかし今シーズンは長野五輪以来の復活を果たしワールドカップでは表彰台にもあがりました。今や日本のエース。伊東大貴20歳とともにメダルを狙える存在です。

 葛西紀明35歳(写真)も上位進出が期待できるひとり。世界中のジャンプ選手の中でも彼ほど身体能力が高い選手はほとんどいません。それくらいの素質の持ち主。ワールドカップも日本人最多タイの15回優勝していますが、オリンピックの時期にはいつも調子が良くありません。世界最年長ジャンプ選手原田雅彦37歳とともに5度目のオリンピックとなる今回。今度こそ満足できるジャンプをと願うばかりです。

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 海外の注目選手を探してみましょう。ヤンネ・アホネンはフィンランドのスキージャンプの選手。フィンランドの選手の名前は、日本語の言葉を当てはめたような名前が多いのですが、そんな中でも彼のは秀逸。彼が大阪へ行ったら必ず人気者になるでしょう。しかし名前だけではなく実力も折り紙付き。昨シーズンの世界ランキング1位。シーズンオフにはドラッグレース(飛行機のエンジンを載せた車で400mのタイムを競う)のレーサーでありデザイナーでもある凄い人です。

 クワメ・ヌクルマ・アチェアンポンはアフリカのガーナの選手。黒人初のプロのアルペンスキーヤーです。しかし実力は世界レベルとは言えず、オリンピック出場資格になるポイントが基準に達したとの情報はまだ確認できていません。もし出場できれば、最も注目される選手のひとりになること間違いないでしょう。
(この文章を書き終わった後、出場を逃す報が届きました。残念です。でも本番の競技前に前走する選手になる可能性があり、トリノ入りするのだそうです)

 選手以外では、ぜひ見て欲しい種目をひとつ。スノーボードクロスという種目で今回初めて五輪種目になりました。山の斜面をスノーボードで滑り降りますが、そのコースはこぶありジャンプ台あり急カーブあり。で、転倒者続出のレースになるでしょう。4人同時にスタートし同じコースを滑るのですが、選手同士での接触も多く迫力満点。レース中たとえ最後尾を滑っていても諦めなければ逆転勝利なんてこともよくあり、手に汗握るレース展開になるので要チェック。

 さて、それぞれのワクワク感を抱きつつテレビの前へ。トリノと日本の時差は8時間。眠れない夜がやってきます。用意はいいですか? でも夜更かしはホドホドに。えっ? 僕自身が一番注意すべきだって? おっしゃる通りです・・・。

※「ワールドカップ」とは、ひとシーズンをかけて世界各地を回り、週末ごとに試合を行う大会。スキー、スケート、ジャンプのほか、いろいろな競技で行われている。

このところ、バリ島のことについて風景や色のことを書いてきた。今回はちょっと脱線して食べ物のこと少しふれてみる。といっても何のことはない、即席麺のことである。
私は即席麺が好きで、これまでにバリ島でも色々とインドネシアの即席麺を買ってきた。あちらでは食事と言うより、おやつ的な扱いが強くて、きちんとした食事の代用として食べる日本の即席麺とは食品としての位置づけが異なる。そのためか量も日本の100グラム前後という量と比べると少し少ないようである。
大抵の場合は普通にお湯で茹でて粉末ソースや液体ソースを加えるというプロセスは同じであるが、唯一焼きそばだけは日本の作り方と全然違うので最初は面食らった(麺食らったか?)ものだ。
先日のことであるが、昨年女房がバリ島のお土産として買ってきたインドネシア式焼きそばである「ミー・ゴレン」の即席袋めんがあったので、久しぶりに食べてみた。初めて買ってきた頃は日本の焼きそばと同じように、フライパンにお湯を入れ、沸騰したらめんを入れ、柔らかくなったら水気が無くなるまで炒める、という手順で食べていたが、インドネシア語を習ってからは袋の裏の作り方を見て、自分がやっていたことは間違いだったことに気付いた。
写真を見ながらその手順を追ってみよう。

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コンテンツはこんな感じ。
下に写っているのは、ソースやシーズニングの小袋たち。なんと多いことか。右の3室に分かれた袋は左から、ケチャップ・マニス、サンバル、椰子油だ。ケチャップ・マニスとはその名の通り甘いケチャップのことで、お好みソースをもっと甘くしたようなものだ。サンバルはインドネシア独特の辛み調味料。このサンバルは、スーパーマーケットで全国区の(標準的な)商品もあるが、実際バリ島は自家製が多くて、「サンバル」といっても家によって多少の違いがある。自家製のものは大抵は日本人には激辛程度の辛さで、辛さに弱い私は、顔が涙と汗と鼻水で、グジャッグジャになってしまう。椰子油はあちらの炒め物の標準的な調理油だ。左のアルミ色の袋は粉末ソースだ、と思いきや、これは薬味的な意味合いのある、バワン・ゴレン(揚げたまねぎ)のみじん切りが入っている。最近ではこれが何故か揚げ玉になってきている。今回のこの製品も揚げ玉タイプだった。
因みに袋に書いてある「100」は、どうやら内容量が100グラムということらしい。あちらでは大盛りタイプだね、こりゃ。その100の下には「Mie Goreng Extra Pedas」とあり、ミー・ゴレンの大辛という意味だ。そのバックに写っている調理例の写真は、はっきり言って不味そうな写真が多い。(食欲無くすぜ、ほんと!)


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上の写真は、めんを茹で上げて水気を切ったところに、小袋のものを全部入れた状態。え?めんを茹で上げて水気を切っただって?そう、賢明な読者ならもうお分かりだろう。この焼きそば、実は焼かないのだ。これって実はカップ焼きそばの作り方と同じなのだ。インドネシアって、結構日本との貿易などで密接な関係があって、技術提携なども盛んに行われているそうで、この方式って、日本の即席焼きそばがお手本になっているんじゃないかと思うのだ。


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さてと、先ほどのものをキレイに混ぜ混ぜすると、こんなの出来ました!ということで完成である。
味は?というと、これがなかなかおいしい!本当においしい。エクストラ・プダス(大辛)なんて書いてあるから、覚悟してみたが、何の何の南野陽子!そんなに辛くない。私が食べられるのだから、本当だ。ココナッツオイルの適度な風味とバワン・ゴレンの代用揚げ玉のおかげで多少エスニックだが、日本人の口に合う味だと思う。

もしバリ島に行く友人や家族がいたら、お土産におねだりしてみてはどうだろうか。日本でも一部の東南アジアの食材を扱っている店にも無いことはないが、現地で買うよりかなり高い。ま、といっても元々の価格がそんなに高いもんじゃないので、気にするほどではないか。

 みなさんのご実家、又は一族とか仲間とか田舎とか、お決まりの言葉とかありますか?
 私の家では、就寝することを「ネンネ」といいます。私たち兄妹皆幼い頃は、大人に「ネンネしましょう!」と寝かしつけられた。だから寝室は「ネンネの部屋」になるのだ。
 実はこれは大人になっても抜けない。今でも「ネンネしよう」一人つぶやいてしまう。ベットのモーフをかけ直すことも「バフバフ」とつぶやく。
 ま、誰に言うわけではないけど家にいると自然に口をついて出でくる。生まれた瞬間からずっと我が家で使われていて、刷り込まれたものだから直せないし直す気もないのだが。。。幼児語といったらそれまでだけど、こんなことで一日のON OFFの切り替えができるのだから、悪いことじゃないはず!!
 きっと、両親と一緒に眠る遺伝子の記憶がそこにはあると思うなー寝つきはのびた君に並ぶ良さ。
これからも棄てずに使っていこう!

リュンリュン☆牡羊座のあなた。南から追い風があるわ!この風をキャッチしてトリノの日の丸飛行隊と一緒に世界にジャンプ!!ってね*~*~*~
ごきげんよう

                            text by 赤様
 さあ2月です。トリノオリンピックまであと9日。ということで、今回は冬のオリンピックの話しをしましょう。振り返れば、長野オリンピックからもう8年。98年の2月。僕は週末は長野の人でした。

 その夜、アイスホッケーを観戦した僕は長野から新幹線に乗り、ひと駅目の上田に向かった。オリンピックのチケットを取るのも大変だったが、宿をおさえるのは自分ではお手上げ状態だった。次の日に観戦するジャンプ会場近くの宿を探した。だけど、結果として3万5千もの人が観戦に来る小さな村にそれだけの対応ができるわけもなく、希望していた白馬周辺の宿はいっぱいだった。それはおろか長野周辺でも全滅。上田という町に、しかも旅行会社に勤めていた友人に頼んで何とか取ってもらったほどだった。感謝!感謝!

 夜が明けきらない朝の5時起床。外は真っ暗。しんしんと降る窓外の雪。最も楽しみにしていたジャンプ観戦の日である。5時半の電車で長野へ向かう。揃いのウェアを着たボランティアが途中の駅から続々と乗ってくる。老若男女さまざまだ。

 長野からはバスに乗り継ぎだ。駅前には各競技の会場へ向かう何十台というバスの大群。それに乗ろうとする人の長~い行列。この日のために作られたオリンピック道路。そこを通って1時間半ほど揺られて白馬へ到着。時間は9時。長旅。ほんとに同じ県内か?

 その前年の夏、競技者のいないジャンプ台に登った(競技のない日は見学できる)。上からの見晴らしの良さ、地面までの高さ、着地点が見えないことなど、その競技の恐ろしさを感じた。スタート地点の高さは約130m。30階建てのビルに相当する。サーカスなんてかわいいじゃないかとさえ思わせる。

 でも実際に人が飛ぶ姿を見るのはこのときが初めてだった。だから楽しみで数日前からワクワクしていた。想像どおり、いやそれ以上に圧倒された。迫力。豪快さ。飛ぶ姿を見る気持ち良さ。そして、恐怖心と対峙する人間の姿と人間技じゃないパフォーマンス。口を開けっ放しにして見とれるだけ。ただただ「すっげーーっ」と。

 もうこの時以来、ジャンプの虜。

 さて、日本が優勝して原田雅彦が号泣したシーンが有名になったスキージャンプの団体戦。僕が観たのはその数日前に行われた個人戦だ。1回目6位だった原田。彼が2回目のジャンプで計測用のビデオカメラがないところまで飛ぶほどの大ジャンプを披露。そのためポイントがなかなか出ない。審判団が協議する事がアナウンスされ、競技再開。観客はざわついていた。

 そのあと船木和喜の素晴らしいジャンプが飛び出す。最後の選手が飛び終わったところで船木がトップに立ち、原田の結果を待つことになった。6位まで表示される掲示板。そこに自分の名前が表示されないため、着地の姿勢が悪くてポイントが低いと思い込んだ原田本人は、諦めた様子でフェンスの前で座り込んでいた。結果はご存知のとおり。船木が金、原田が銅メダルを獲得。このとき原田に涙は無かった。

 ジャンプ観戦後は長野に戻り、午後にスピードスケート男子1000mで清水宏保を、夜にアイスホッケーを観戦。最終の新幹線で東京へ戻った。オリンピックを肌で感じた格別な日々だった。

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