text by 赤様
さあ2月です。トリノオリンピックまであと9日。ということで、今回は冬のオリンピックの話しをしましょう。振り返れば、長野オリンピックからもう8年。98年の2月。僕は週末は長野の人でした。
その夜、アイスホッケーを観戦した僕は長野から新幹線に乗り、ひと駅目の上田に向かった。オリンピックのチケットを取るのも大変だったが、宿をおさえるのは自分ではお手上げ状態だった。次の日に観戦するジャンプ会場近くの宿を探した。だけど、結果として3万5千もの人が観戦に来る小さな村にそれだけの対応ができるわけもなく、希望していた白馬周辺の宿はいっぱいだった。それはおろか長野周辺でも全滅。上田という町に、しかも旅行会社に勤めていた友人に頼んで何とか取ってもらったほどだった。感謝!感謝!
夜が明けきらない朝の5時起床。外は真っ暗。しんしんと降る窓外の雪。最も楽しみにしていたジャンプ観戦の日である。5時半の電車で長野へ向かう。揃いのウェアを着たボランティアが途中の駅から続々と乗ってくる。老若男女さまざまだ。
長野からはバスに乗り継ぎだ。駅前には各競技の会場へ向かう何十台というバスの大群。それに乗ろうとする人の長~い行列。この日のために作られたオリンピック道路。そこを通って1時間半ほど揺られて白馬へ到着。時間は9時。長旅。ほんとに同じ県内か?
その前年の夏、競技者のいないジャンプ台に登った(競技のない日は見学できる)。上からの見晴らしの良さ、地面までの高さ、着地点が見えないことなど、その競技の恐ろしさを感じた。スタート地点の高さは約130m。30階建てのビルに相当する。サーカスなんてかわいいじゃないかとさえ思わせる。
でも実際に人が飛ぶ姿を見るのはこのときが初めてだった。だから楽しみで数日前からワクワクしていた。想像どおり、いやそれ以上に圧倒された。迫力。豪快さ。飛ぶ姿を見る気持ち良さ。そして、恐怖心と対峙する人間の姿と人間技じゃないパフォーマンス。口を開けっ放しにして見とれるだけ。ただただ「すっげーーっ」と。
もうこの時以来、ジャンプの虜。
さて、日本が優勝して原田雅彦が号泣したシーンが有名になったスキージャンプの団体戦。僕が観たのはその数日前に行われた個人戦だ。1回目6位だった原田。彼が2回目のジャンプで計測用のビデオカメラがないところまで飛ぶほどの大ジャンプを披露。そのためポイントがなかなか出ない。審判団が協議する事がアナウンスされ、競技再開。観客はざわついていた。
そのあと船木和喜の素晴らしいジャンプが飛び出す。最後の選手が飛び終わったところで船木がトップに立ち、原田の結果を待つことになった。6位まで表示される掲示板。そこに自分の名前が表示されないため、着地の姿勢が悪くてポイントが低いと思い込んだ原田本人は、諦めた様子でフェンスの前で座り込んでいた。結果はご存知のとおり。船木が金、原田が銅メダルを獲得。このとき原田に涙は無かった。
ジャンプ観戦後は長野に戻り、午後にスピードスケート男子1000mで清水宏保を、夜にアイスホッケーを観戦。最終の新幹線で東京へ戻った。オリンピックを肌で感じた格別な日々だった。