現在、我がアパートの部屋には猫がおります。
名はシヅマ、歳は推定8歳、性別オス、身長50cm、体重6.5kg。
引っ越しの際に実家から新幹線で連れてきました。
この方のおかげで、アパートの家賃が1万程高くなり、敷金は1か月上乗せになりましたが
それもまたご愛敬。
シヅマは奄美大島で心やさしい方に拾われ、何の縁あってか
当時大学生だった猫嫌い、犬大好きの私の元へやってまいりました。
それから8年弱、小さくてがりがりだった仔猫は初対面の人を怖がらせるほどに大きく成長しました。
現在世の中はペットブーム。それもとかく犬の方に人気が集中しがちです。
ペットショップやそこらのお店で手に入るペット商品も、猫より犬のもののほうが数も種類も充実し
値段も抑えめ。猫とともに生活する者としては、多少不便でお財布的にも痛いものがある。
そこで今回は、本来犬好きだった私が彼との日々から得た猫の魅力について少々語らせていただき
少しでも猫の良さを知っていただいた上で、引いてはこの先猫と暮らす者にとっても
猫にとってもよりよい生活に繋がるようにここで一肌脱ぎたいと思います。
さて、猫を飼っていない方で「猫のわがままなところが好き」なんていう人がよくいますが
たぶん本心ではありません。むしろあれは、「わがままな猫を好きと言っちゃう自分が好き」な人ではないでしょうか。あくまで私の偏見ですけど。
その一方、アンチ猫派から一番よく聞くのは「猫はわがままだから嫌い」という声。
つまり良くも悪くも猫についてまわるキーワードは「わがまま」のようです。
しかし、本当にわがままなだけの動物なら歴史の上でペット化されるほど人間に愛されては来なかっただろうし、猫をある程度知る者の感想として、そもそも猫は別にわがままではないと思います。
では一見わがままに見えるその性質の実体はなんでしょう。
例1、 まずこちらに見向きもしない。
単に彼らの興味をひくにいたらなかっただけです。
例2、 人に触らせない。触ろうとするとひっかく。
見ず知らずの人にいきなり撫でまわされて、抱っこされてうれしいですか。犯罪行為です。
例3、 与えたものを警戒してなかなか食べない。
道ですれ違った知らない人からいきなり与えられた食べものを口に運ぶのは誰でも躊躇します。
例4、 愛想がない。
愛想を振りまかれるだけの特別な理由があるのですか。
例5、 警戒心が強い。
道でにやにやしながら、自分をなでようと手をかざして
しかもなんだか「ニャーニャー」いいながら近づいてくる相手は警戒して当然です。
もし私なら猛ダッシュで逃げます。
こんな感じでしょうか。
猫の行動を自分に置き換えてみると、とっても当たり前で理にかなっているのですよ。
だれかれなく飛びついてきて、顔をなめ、腹を丸出しにして撫でて撫でてとせがむ。
気に食わなきゃ咬むこともあるし、基本大きな声で吠えるし、そこらでトイレするし、走り回る。
そういう意味なら、むしろ本来わがままなのは犬のほうではと思えます。
猫が愛想がないのは基本だれかに何かを求めて媚びる必要がないから。
上も下もなく、基本自分は自分というスタンスゆえ、いたって自然体でいるだけなのですね。
相手を馬鹿にしたり、いやな思いをさせてやろうなんて考えは別にないわけです。
こちらが動物は可愛く媚びて当たり前という色眼鏡で見ているからそう思えるのではないでしょうか。
あと状況を警戒するだけの知能があるからでしょうか。
(ちなみにこれは種を保存していく上でとても大事なことなのですよ。)
彼らを見ていると普段自分自身がどれだけ表面を繕って生きているかを実感させられ
自然体の彼らをうらやましく思います。
でもその一方で、一度自分にとってメリットのあると認識した相手や
その時たまにお腹がすいて近くにいるならば
普段邪険にしている相手にも何の恥じらいもなく足元にすりよって甘えに甘えていける。
そういう状況によっての割り切りのよさや、目的のためならプライドなど関係なく
手段を選ばない図太さ。
これまた違う意味での自然さというかシンプルさと普段とのギャップ(いわゆるツンデレ具合)に
つい痺れてしまうのです。
そこのあなた。これを知らずして、猫をかわいい、かわいくないということなかれ。