様々なモノが値上がりしていますね。
自分の生活に関わることですから、
フトコロ具合を考えてしまいますよね。
でも、今日はあえて一歩引いて考えてみます。
今、いろいろ値上がりしている、ということは、
今までは、割りと安定していた、と言ってもいいのかな、
と思います。
それは、様々な業界で多くの人が、
いろいろ苦労してやりくりしていた結果、
安定していたと思うんです。
ニュースを見ていると、
為替や株価や先物取引など様々なものの価格が、
日々変動していて、
これが本当はモノの価格に被さってきていてもおかしくない。
それを、どこかの誰か、割りと多くの方々だと思うのですが、
それをコントロールして、
消費者の生活にあまり影響がない範囲にしていたんだと思うんです。
そうしないと他との価格競争に勝てなかった、
と想像するのです。
今回、
そのコントロールしていた、まるでダムみないな支えが、
一気に決壊したように感じるのです。
原価の値上がりもあると思いますが、
それと同時にやっぱり無理していたところもあると思うので、
そんな歪みが地震のように動いたんじゃないのか、
と思うのです。
なぜ、そんなふうに思ったのかというと、
僕らの子どものころ(昭和50年代)は、
毎年モノの値段が頻繁にあがっていたからです。
一番わかりやすいのは、
JR(当時は国鉄)の初乗り料金。
僕が物心ついたころは、大人が30円でした。
それが40円→50円→60円と毎年のように上がっていき、
いつの日か130円(関東圏)でずっと安定するようになった。
安定期に入ったときに、
僕は「なぜ値上がりしなくなったのだろう?」
と思っていたからです。
モノの値段は、
僕ら生活者からみれば、収入と支出の相関を、
考えなければならないと思うのです。
欧米では、
収入を守るために、
値上がりを容認する方向に進んでいるように感じます。
となると、
日本はどうするんでしょうね?
もしかしたらこの値上げラッシュは、
一時的ではないかもしれませんね。