text and photo by 赤様
↑霊山護国神社の坂本龍馬と中岡慎太郎像
今年最初のブログで、坂本龍馬に関することを題材にしたが、
最後も龍馬で締めようと思う。
大河ドラマで取り上げられたこともあり、
坂本龍馬という人間が、
これほどクローズアップされた年もなかっただろう。
でも僕は、大河ドラマはほとんど見なかった。
1話まるごと見たのは1度だけ。
途中の部分をチラッと見たのも1度だけだ。
しかし、龍馬の「これからの日本」を強く思う気持ちは、
大河ドラマを見た人も、そうでない人でも、ご存知のとおりだ。
今に限ったことではないが、
政治をめぐる報道は、いつもドロドロとしてすっきり感など微塵もないが、
そう考えると、もし、龍馬の時代にマスメディアが発達していたら、
龍馬はどういう報道をされていただろうと、
妙なことが頭をよぎった。
徳川幕府は、今に例えるなら菅内閣(平成22年現在)で、
徳川御三家の水戸藩、紀州藩、尾張藩は与党民主党にあたるだろう。
そして、薩摩や長州は、自民党などの野党勢力ということになる。
とすると、龍馬はいったいどんな存在なのか?
龍馬は、実の権利を持って行動していた人間ではない。
政治のニュースを見ると、与党対野党という構図が一般的だが、
龍馬はそのどちらにも属さない。
まあそれは、この際、どちらでもいいだろう。
だが、メディアの切り口のほとんどは、与党か野党が基準であり、
視聴者もいつしかそんな視点で時代を見る。
取材対象も記者クラブも与党や野党にあり、
そこから情報が発信されることが自然な流れだ。
でも、どこにも属さず、いろいろなところへ動く龍馬のことは、
どこのメディアもなかなかつかまえられず、
評論家かジャーナリストが、ニュースキャスターの脇で、
「実は龍馬という人物がいて、
かくかくしかじかという行動をしているようです」
というコメントを言うのが、マスメディアとしては精一杯なのではないか。
そう考えると、間違いなく龍馬は「影」の人物と言える。
日本では、とかく影で動く人物、いろいろと根回しをする人物に対して、
あまり良い印象を持たない風潮がある。
それは、日本人の国民性をみれば、
おそらく江戸時代も同じなのではないか。
もしかしたら、世間は彼を斜めに見て、
メディアもそういう視点で報道したかもしれない。
では、なぜ彼は英雄であり続けるのだろうか。
ほとんどの場合、龍馬を最初に知るのは、その功績で、
そのあとに、功績への紆余曲折やその人柄がわかる。
彼を偉人と思えるのは、
そういう順番を経ているから、というところはあるだろう。
でも、いくら功績があっても、
その人物像に共感できない歴史上の人物は少なからずいるのも事実だ。
それでも、なお一層、龍馬が魅力的に思えるのは、
やはり彼に強い意志と覚悟があったからだろう。
侍は、いつ死ぬかわからないから死に対する覚悟ができている。
しかし、その覚悟が、今最も忘れられている価値観であるような気がする。
龍馬は、何事にも屈せずに突き進む覚悟を僕らに教えてくれている。
そう思えてならない。
龍馬が近江屋で暗殺されなかったら、
近代国家の建設にどう関わっただろうか。
いや、それよりも、マスメディアの発達した現代に彼が生きていたら、
社会にどんな影響を与えるだろうか。
龍馬の墓が、京都、東山の霊山護国神社にある。
中岡慎太郎とともに眠るその地で、
彼は今の世を「これじゃ、いかんぜよ」と思っているのではないだろうか。