2025年12月アーカイブ



この年末、最強のLIVEに参加しました。開演前から会場外ではコンセプトに沿ったイベントが用意され、
一日中その世界観に没入させてくれます。
会場で目を引くのは、多くの若いスタッフの姿。
全員が専用のシャツを纏い、キビキビと立ち働く。
警備スタッフは落ちているゴミを自ら拾い、スマートに分別していく。
スマホ操作に不慣れな客への対応も、丁寧かつ簡潔。操作が終われば「良かったですね、楽しんでください」と声をかけてくれます。
ホテルやテーマパークのようなホスピタリティとは異なる、商店街の馴染みのような絶妙な距離感。
感動、最強、圧巻のパフォーマンス後も、スタッフの方々は安全かつ速やかに何万人もの客を誘導し、
「ありがとうございました」と見送ってくれました。
最後まで世界観を守り、高揚感を持ったまま帰路に就かせてくれる。
大量のアルバイトスタッフがアーティストの代弁者として機能している。
その徹底した教育とマネジメントに、大きな会場でLIVEを開催できる者の偉大さを改めて実感しました。
同じチームとして成功を目指すという意思が共有されているのでしょう。
私も、たとえ会えなくとも、推しの末端として働けるならそれは幸せなことだと感じる見事なプロフェッショナルな現場でした。
みなさん良いお年をお迎えくださいね
どうも頭部スカイツリーです。
早いもので、今年のブログも今回が最後になりました。
光陰矢の如し。
本当に今年もあっという間の1年でした。
思い起こせば、年始に今年こそは!と
計画を立てるも
未達を繰り返してばかり‥。
来年こそは達成できるよう、
今年のうちから下準備を始めよう!!



■ 右手=「後天的な変化・現在の状態・社会で現れる姿」


どうも頭部スカイツリーです。
先日とあるSNSで、地方にお住まいの方と
お話しする機会がありました。
話の中で私が都内の会社に勤務していると知ると、
その方は「東京というと、神保町のカレーを一度食べてみたいのです」
と仰いました。
神保町のカレー...まさに弊社の近所のカレー店がそれで、
その方にとっては夢見る"神保町のカレー"であり、
私にとってはふだん昼食で食べる"神保町のカレー"です。
まぁ、私も最初に神保町でカレーを食べた時は
"神保町のカレー"と思いましたが(w)
日常的に食すと、"神保町のカレー"も"普通のカレー"になるんですね。
慣れてくると、何事もおざなりになる。
まさに初心忘るべからず!で、
すべてのモノ、コトにいま一度感謝のこころを!!



実写に近い画像でも感じる違和感
生成AIによる実写に近い画像を見ると、やはりどこかに"AIっぽさ"を感じてしまいます。
CMを見ていても「この人物やビジュアルってAIか?」と意識してしまうことがあります。
質感や手足の形(少し前の世代で特に顕著でしたが)、光や影の落ち方など、
わずかな違和感が目に入ってしまうのです。きっと皆さんにも覚えがあるはずです。
AI画像を見分けるポイント
私がAI画像かどうかを判断するときに注目するのは、
被写体の位置(圧倒的にこれ!)ドセンターすぎる!
影の濃さ(次にこれ!)AIらしい影濃度がある!
人物の歪みの無さ(むしろ歪みがなさすぎる)
アシンメトリーでの不自然さ です。
やはりどこか"整いすぎてしまう"、少し崩れているがゆえの
美しさや魅力が抜け落ちているように感じます。
背景との関係性が"理想的すぎる"ことも、作り物っぽさにつながります。
違和感をなくすには
では、この違和感をなくすためには何が必要なのでしょうか。
例えば、被写体を画像センターから外す、帽子やメガネ、雲や太陽も少しずらすなど、
広告の世界で時間をかけてきたポイントを、よりナチュラルに見せられれば理想的です。
そこまで綿密に指定するプロンプトが必要なのか、それともAI自身が学習を重ね
自然な表現を許容していくのか----おそらく両方でしょう。
AIによる「理想化」と違和感
SNS上で、家庭で作ったおかず「チキン南蛮」を素人が撮影した画像をもとに、
AIがフードカメラマン風に生成したという投稿がありました。
そこには「もうカメラマンいらないじゃん」というコメントまで。
確かに元の画像から「もっとこうだったら良い」という点がほとんど修正されていますが、
確かに、良い画像にはなっていますが、私は作られた感に違和感を覚えました。
AIっぽさの未来
きっと技術が進んで、人が感じていた違和感は静かに解消され、
日常のなかに自然にAIが溶け込んでいくと思います。
AIっぽさが消える未来は、もうすぐそこまできているのかもしれません。

