text by 赤様
ジーコの後任選びは難航すると思っていた。マスコミは、飽きることなく「ベンゲル」待望論を唱えていたからだ。どこもかしこも絵空事ばかり。そんな風に思えた。だから今週は、ポストジーコのことを書こうと思っていた。だが、川淵会長が口をすべらせた。
次期日本代表監督は、現在ジェフユナイテッド千葉のオシム監督に決まりそうだ。最高の人選だと僕は思う。ただ高齢と体調を理由に断るだろうと書こうと思っていた。だから彼にはかなり期待している。
世界レベルでの指導歴、練習方法のノウハウ、人心掌握、マスコミ対応、そのどれをとっても日本に来ていること自体が不思議なほど。1990年のワールドカップでは、ドラガン・ストイコビッチらを擁しユーゴスラビア(当時)をベスト8に導き、1993年にはレアル・マドリードやバイエルン・ミュンヘンというビッグクラブからオファーを受けたという人物だ。
彼の母国ユーゴスラビアは6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字が存在する複雑な国家で、民族や宗教、言語、文化の違いから、いつ紛争が始まってもおかしくないと言われていた。
東欧で民主化が進んだ1990年代前半、ユーゴスラビアは各共和国の独立機運が高まり内戦状態になった。略奪、虐殺、強姦を繰り返す泥沼状態に陥り、民族主義が台頭、互いが互いを蔑視した。サッカーもサッカー選手も、民族主義の道具にされた。代表チームにどの民族の選手を選ぶのか。それに対しての脅迫や圧力も容赦がなかった。彼は代表監督だった当時、時に命をも奪われかねない状況の中でもそれらの圧力に屈せず、選手をかばい、自らの意志を貫き通した。
また、違う地域で監督の仕事をしていた彼は、妻子と生き別れ状態になってしまった。対立する民族が妻子の住むサラエボの街を包囲し隔離したからだ。水道も電気も滞った。山の上からは、対立する民族のスナイパーが銃口の先を彼らに向けた。水を汲むためには、その中を通らなければならなかった。そんな状況で彼の心中はいったいどんなものだったのか。こんなこと、単民族国家の日本人の僕らにはとても想像がつかない。
これらのことは、これからいろんなところで報道されるだろう。でも、こうした彼の経験が人間としての厚みを持たせていることは想像に難くない。サッカー以外にも、人間の有りようや人生の構築の仕方までをも指南するかのような彼独特の表現からもそれを窺い知ることが出来る。
そのマスコミを手玉に取ってしまうほどの貫禄に、もしかしたら記者達はやっかみを感じ、くだらない中傷記事を書くかもしれない。でもサッカーへの信念、人間的な暖かさと選手への信頼、そしてどんな揺さぶりにも動じない彼の心が、日本サッカー界を良い方向へ導いてくれるだろうと僕は信じている。
※宣伝ではないが、「オシムの言葉」(木村元彦:著)という本がある。ここ数年で一番心に残った本だ。各新聞の書評でも多く取り上げられている。興味ある方はご一読を。
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今週から、木曜日担当になりました。よろしくお願いします。
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