2017年9月アーカイブ
桐生くんが9秒台を出した。
これは、
スポーツの域を超えたニュースになった。
号外が出る範疇では収まらず、
なんと一般紙までもが、
こぞって一面トップで報じた。
一般紙は、日曜のトップ記事を、
あえて政治や経済にしないこともあるが、
それにしてもこの騒ぎはすごいと思った。
こんなことは、
オリンピックで金メダルをとっても、
そうあることではない。
それが、どれほど価値のあるものかを
物語っているのだろう。
僕はこの現象にかなり感激して、
新聞が売店に並んでいる写真を撮ってしまった。
さらに、一面にしている全ての新聞を購入してしまった。
1日で新聞代1500円ほど。
ホント馬鹿げてるが、
それほど興奮していた。(笑)
大方の予想どおり?
僕はその競技場で観戦していて、
運良く、その瞬間を目撃することができた。
学生の大会なので、
事前からかなり盛り上がっていたのだが、
その瞬間は、
陸上競技の大会では聞いたことがないような、
競技場を揺さぶるような歓声だった。
僕はと言えば、
大台が出るのでは?と言われる大会を何度も見ているので、
「やっと出たね」という感じでホッとした。
スタンドの熱気はなかなか冷めず、
ざわざわ感が長い間残っていた。
多くのファンが同様に写真や動画を撮っていて、
それを何度も見直すという光景があちこちで見られた。
余韻が冷めるのにこんなに時間がかかるのか、
と思ったほどだ。
実は陸上競技では、
誰かがインパクトのある記録を出すと、
それに影響されて好記録が続く傾向がある。
桐生くんは、
今シーズンはもう100mを走る予定はないが、
もしかすると、このあとも、
他の選手が追随してくる、
なんてことがあるかもしれない。
やっぱり日本の天気は相変わらず不安定です。
急に涼しくなってみたり、曇天が続いてみたり。
今回も夏休みにバリ島に出かけたのですが、むしろ日本より過ごしやすかったという事実。
一体天気はどうなってるんでしょうね。
豪雨になるとかつてないような記録的な状態になるし。
涼しくなって来たのでいよいよというか満を持してというか、
自転車の走りやすい季節になります。
でも、気になるのは、異常なほどに激変する天気です。
長期予報では暑い夏になるとは言っていましたが、なんだかなぁ。
予想を超える状況になるかもしれません。
今年はいつも以上に雨雲レーダーのスマホアプリが大活躍する予感です。
みなさん使ってますか?
バリ島での天気の様子。到着翌日の日曜日の朝です。
水曜日の午前中に車で出かけました。雲が出てはいますが、概ね良い天気でした。
バリは熱帯に属するのですが、乾季ということもあって、日陰にいけば過ごしやすかったです。
バリ人の友人は、「寒い」というんですが、どこが寒いんだか??(笑)
text by 赤様
先日、
いくつかのロケットの打ち上げがあった。
そのうちのひとつが、
ベンチャー企業によるものだった。
ついにそんな時代になったんだなと、
僕はちょっと興味を持った。
JAXAなどが打ち上げるロケットは、
数百億円という費用がかかるらしい。
でも、このベンチャーだと数億円でできるのだそうだ。
安くなると、
人工衛星の打ち上げ依頼が全世界から舞い込むらしい。
それを目当てにしたベンチャー企業が、
世界中で次々と立ち上がっているそうだ。
なんと、右肩上がりの成長産業なのだ。
でも、僕がここで紹介したいのは、
その費用のことではない。
それは報道の仕方である。
ご存知の通り、
このベンチャー企業の打ち上げは、
日本では「打ち上げ失敗」と報道された。
通信機器の不具合らしい。
しかし、なんと宇宙産業先進国のアメリカでは、
partial success = 「部分的な成功」と
報道するところがあったそうだ。
これには驚いた。
この日米の差はなんだろう。
アメリカは投資の社会だ。
新しい試みを支援する気風が社会全体にあると聞く。
優れたことやオリジナリティは、
新しいことを生み出す要素だ。
他者の良いところを見つけようと思えば、
失敗のなかから、良かった部分を記事にすることも、
うなずける。
もし他者の良い部分が、
自分の不得手な部分だという者がいたら、
互いに手を組んで事業を進めよう
という話しが出るかもしれない。
そんな考えを持った人間が多くいることは、
それこそ社会のパワーそのものであり、
そんな文化があるからこそ、
テレビやパソコンをはじめ、
それまで世の中に無かったモノを、
次々と生み出してきた理由なのだろう。
昨今の日本社会の停滞感や先細り感は、
そういうところから変えていかないと、
なんとも悲しい社会に成りかねないという気がする。
少なくとも、
挑戦することの価値は大切にしなければならないと
思うのである。
黒い金魚が動き回る掛軸に墨の映像が流れて、
まるで金魚が文字を書いているかのような演出。