text by 赤様
先日、
いくつかのロケットの打ち上げがあった。
そのうちのひとつが、
ベンチャー企業によるものだった。
ついにそんな時代になったんだなと、
僕はちょっと興味を持った。
JAXAなどが打ち上げるロケットは、
数百億円という費用がかかるらしい。
でも、このベンチャーだと数億円でできるのだそうだ。
安くなると、
人工衛星の打ち上げ依頼が全世界から舞い込むらしい。
それを目当てにしたベンチャー企業が、
世界中で次々と立ち上がっているそうだ。
なんと、右肩上がりの成長産業なのだ。
でも、僕がここで紹介したいのは、
その費用のことではない。
それは報道の仕方である。
ご存知の通り、
このベンチャー企業の打ち上げは、
日本では「打ち上げ失敗」と報道された。
通信機器の不具合らしい。
しかし、なんと宇宙産業先進国のアメリカでは、
partial success = 「部分的な成功」と
報道するところがあったそうだ。
これには驚いた。
この日米の差はなんだろう。
アメリカは投資の社会だ。
新しい試みを支援する気風が社会全体にあると聞く。
優れたことやオリジナリティは、
新しいことを生み出す要素だ。
他者の良いところを見つけようと思えば、
失敗のなかから、良かった部分を記事にすることも、
うなずける。
もし他者の良い部分が、
自分の不得手な部分だという者がいたら、
互いに手を組んで事業を進めよう
という話しが出るかもしれない。
そんな考えを持った人間が多くいることは、
それこそ社会のパワーそのものであり、
そんな文化があるからこそ、
テレビやパソコンをはじめ、
それまで世の中に無かったモノを、
次々と生み出してきた理由なのだろう。
昨今の日本社会の停滞感や先細り感は、
そういうところから変えていかないと、
なんとも悲しい社会に成りかねないという気がする。
少なくとも、
挑戦することの価値は大切にしなければならないと
思うのである。