そのとき

text by 赤様

以前、福岡伸一さんが仰っていたことを思い出しました。
人間は、
生物的にどこかの段階で
生と死の境目を特定できるものではなく、
フェイドアウトするように徐々に各部位が
機能しなくなっていくのだそうです。

でも、それでは社会的に不都合なので、
呼吸や心臓、瞳孔の反応が停止した時点で、
それを医師が確認したとき、
現状では死の瞬間となるのだそうです。

病院の部屋で、
死亡診断書を手渡されました。
そのあとは、
もう病院には居られないことを告げられました。
斎場は24時間対応していることを知りました。
あらかじめ決めておいた斎場に連絡をして、
数時間後に、斎場の担当者がやってきました。
いろいろ説明を聞いて遺体を引き取っていきました。
我々はそれを見送り、一旦病室に戻り、
全ての荷物をまとめ、病院をあとにしました。
そのとき午前4時すぎ。

以前ある人から、
住職さんの話しとして、こんな話しを聞きました。
「ピンピン、コロリ」は苦しまないで死ねるから、
理想と思われるけど、
これが周囲の人間にとっては残酷なこと。
容態が徐々に悪くなることで、
残される人たちの心の準備ができるのだと。

今回それがすごくよくわかりました。

ほぼ誰もが経験することでしょうけど、
なんとも辛い経験ですね。
できれば避けて通りたい。


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このページは、cmemberが2024年10月 4日 09:00に書いたブログ記事です。

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