高校野球監督の胸中

高校野球が始まって、
今年で100年になるそうだ。

テレビで高校野球を観ると、
僕は監督さんに注目してしまう。

その表情は、
しょっちゅう怒っているプロ野球の監督とは大違いで、
いつも落ち着いている人が多い。
それも、時に微笑みが出るほど余裕のある表情だ。

高校野球は、プロ野球に比べて、
実力よりも勢いのあるチームが好結果を残すことが多い。
それがいくつものドラマを作ってきた。

反面、
ピンチだと、それを凌げる事が少なく、
ほとんどの場合悪い結果に繋がってしまう。

高校生は、ひとつひとつの事に精神的な振幅が大きい。
それがプレーに現れる。
若さなのだろう。

だから監督は、
どんな状況でも選手が動じないように取り繕う。

もしかしたら、様々な経験が重なって、
本当に動じなくなっているのかもしれない。
人生の苦痛困難に比べたら、
「たかが野球」くらいの心境なのかもしれない。

だからだろうか、常に淡々としていて、
何事も熟知しているかのような雰囲気がある。
言いすぎかもしれないが老いた僧侶のような貫禄。

僕の知人にも、
高校野球の監督になった人がいる。
どんな試合展開になっても、
どっしりと構えていられないとダメだ、
と彼は言っていた。

窮地に立ったとき、
人間は頼りにする人をみる。
その人に余裕があることで、心が落ち着くものである。

仏像の顔がなんとなく柔和な表情なのも、
そんな理由なのだと思う。

監督も教育者。
まず、ひとつ呼吸を整える。
余裕が持てると視野が広がる。
そういうことを遠回しに伝えているのだと僕は思う。

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このページは、cmemberが2015年7月31日 08:53に書いたブログ記事です。

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