text by 赤様
上村の最後のオリンピックは4位だった。
メダルを獲らせてあげたかった。
僕も確かにそう思う。
僕の周囲をみても、SNSでも、マスコミを通じた意見でも、
そういう声が多い。
生中継を見ていて、
すべり終わったあとに何を言うかがとても気になった。
第一声は、
「やりたいことが全部できた。
全てを出し切った。すがすがしい」
目にはうっすら涙が残っていたが、晴れやかな笑顔だった。
それをみてちょっと安堵した。
と同時に、彼女が笑顔だったゆえに、僕は逆に涙が出そうだった。
満足して終えられる。
そんな素晴らしいことはないだろうと思ったからだ。
たしかにメダルを獲れれば、それにこしたことはない。
でも、順位は所詮、相対でしかないし、
絶対的な実力が備わったかどうかは問われない。
失礼かもしれないが、
実力的にはたいしたことがない王者だって、
存在しえるのである。
ならば、人がどう言おうと、
自分がやりたいこと、表現したいことが、
完璧にできて満足するというのは、
最高のシナリオだと思うのだが、いかがだろうか。
勝負に勝とうが負けようが、自分は自分。
自分は、目の前の結果では何も変わらない。ゆるがない。
日本には、スポーツ選手でも一般の人でも、
こうした考え方をする人が少ないように思う。
でも、こうした考え方が、
自分自身を唯一無二の存在にし、存在価値を高め、
結果的に自らを強くすることにもつながるのだと思う。
4年間のたった1日に、
精神的にも肉体的にも、ピークをもっていくのは至難の業だ。
でも、世間や周囲の期待に応えて
自らを見失うのではなく、
自分のために、自分でたてた目標に到達するために、
競技をしてほしいと僕は思う。