瓦版

text by 赤様

ニュースや巷の情報を伝えるものを
「瓦版」なんて言い方をしますね。

瓦版は、江戸時代に登場した紙媒体。
手頃な大きさの紙に、
市民に関心がありそうな出来事をいくつか載せた簡素なものです。
しかし、新聞が発達する明治初期までのあいだでは、
この瓦版が市民の貴重な情報源でした。

関が原の戦い以後、大きな戦乱のない世の中になり、
一見、平和で、みんなが安泰に暮らしていたことを想像しがちですが、
特に下級武士の多くは職に溢れ、
現在の貨幣価値にして、
年収が100万円ほどしかない者も多かったのだそうです。

僕の勝手な想像ですが、
頭にマゲをつけた男が、様々な商売をしている姿を、
時代劇中で目にします。
おそらくこうした人達は、武士としての仕事ができない下級武士で、
日々の暮らしのために、様々なことをして生計を立てていたのではないか。
そう思わせられます。

そんな背景があったからでしょうか。
落語、歌舞伎、浮世絵・・・、
食文化では、そば、天ぷら、寿司などなど、
様々な文化が市民の手によって登場し、発展していきました。
この瓦版も、そんなときに登場したうちのひとつです。

それでは、瓦版はどのように作られるのでしょう。

瓦版を発行する男は、
まず日中に人々が気になるような事柄を取材し、
夜帰宅して、文章にまとめ、紙に筆で書きしるします。
墨が乾いたところで、紙を裏返しにして木に貼ります。
裏返しというところがポイントです。
このとき、墨がついていない紙の部分を彫刻刀で彫ると、
字が逆さの状態の版になります。
これを版木(はんぎ)といいますが、
この版木が屋根に使われる瓦に似ていることから、
「瓦版」と言うようになったそうです。

次に、男は版木に墨をつけ、手作業で1枚、1枚刷り、
刷り終わると夜が明けていて、
これを町で売り歩いたのだそうです。

そして、これを売るときに市民に興味を持ってもらうために、
書かれてある事柄の一部を、読みながら売り歩いたので、
瓦版は別名「読売(よみうり)」とも呼ばれていたらしく、
もしかしたら、あの読売新聞は、
そこから社名をとったのかもしれません。

このように、瓦版が登場した頃は、
皆それぞれが個人事業主で、
取材、執筆、組版、印刷、販売を、
全て一人でこなしていました。
今考えるとすごいことですね。

あたかも情報が氾濫しすぎている昨今ですが、
この情報伝達の礎を築いてきた彼らの情熱なしに、
今のこの情報化社会の隆盛は語れないと僕は思います。

文化をつくり、発展させていくのは、
やはり人間の一途な思いであり、
それを大事にしていくことが、
紙媒体に関わる人間の役割なのではないでしょうか。

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このページは、cmemberが2012年2月10日 08:58に書いたブログ記事です。

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