90年程前のことですが・・・

このところ防災の意識が以前に比べて著しく高くなっている。
昨年の東日本大震災がその直接のキッカケになっていると思うが
既にそれ以前に阪神大震災を経験した日本にとって、
いささか出遅れた感は否めないのだろうと思う。

テレビのニュース番組や特番などで、
都下にマグニチュード○の地震が来たらどうなるか、
家屋崩壊の恐怖の他にも火災、津波と災害の波状攻撃に
どう対処すれば助かる確率が高くなるのか、
また、いざその時が来たときどう判断するのがよりベターなのか、
などの特集が組まれたりしている。
普段からこのようなシミュレーションしておくのも
明確にその日が分らない限り、決して無駄ではないだろう。

先日、東京都墨田区横網町にある横網公園を訪れた。
そして、その公園内にある「東京都慰霊堂」を見学した。
この地は元陸軍被服廠の跡地利用として公園を整備中の大正12年に
関東大震災が起こり、ここに集まってきた避難民が火災により
多数亡くなった場所なのだった。
その慰霊のために立てられたのが、この「東京都慰霊堂」だ。

さらに同じ公園内には「東京都復興記念館」があり、
災害に関した展示をしている。
遺品や絵画、資料など主だが、東京空襲などの第二次世界大戦に
関連した資料も併せて展示されてあった。

場所は両国駅前にある江戸東京博物館の北側約4〜500メートルの位置。
清澄通り沿いにある。

この公園では昼下がりの暖かい日差しの中、近所に住んでいるであろう
家族連れやシニア層の姿が多い。
当時の帝都の荒廃した様子とは隔絶したような感じを受ける。
この地でそんな光景が90年程前に広がっていたなんて名残は
展示されたもの以外は全く感じない。

つくづく平穏な日々の有難さを痛感してしまう。

僕らはこの教訓を活かさねばならない。

尊い生命をかけて残した先人たちの教訓をだ。


IMG_3027.jpg
墨田区横網公園内の東京都慰霊堂。

IMG_3035.jpg
関東大震災後の旧国技館。
現在の京葉道路沿いにある本所回向院の境内にあったそうだ。


by cozy.

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このページは、cmemberが2012年2月13日 09:00に書いたブログ記事です。

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