第六回

見慣れた道を走りながら、
僕はふと、思い返していた。




あの時も、無我夢中で走ってたな・・・







ばぁちゃんが亡くなったのは5年前。





癌だった。






中学、高校と、
ばぁちゃんとは話をする機会は減っていた。



たまに話をすれば、たわいもないことで口喧嘩をし、
殴りかかったこともある。



そして、和解もしないまま、
高校卒業と同時に、ばぁちゃんの元から離れていった。







大学2年の頃、
久しぶりに帰省し、ばぁちゃんに勇気を振り絞って話しかけたことがあった。





「ばぁちゃん久しぶり。」





ばぁちゃんは何も反応することなく、ただ一言。





「何しに帰って来たんだ?」





と呟いた。




僕は、返す言葉がなかった。




突拍子もない言葉に、立ち尽くすだけだった。




当時の僕は、ばぁちゃんのその一言が許せなくて、
親の反対を押し切り、その日のうちに帰ったのを覚えている。






それから1年が過ぎた頃、

ばぁちゃんが入院したとの知らせが入った。



僕は、就活やバイトや彼女のことなどで精一杯で、
ただ時間だけが過ぎていき、見舞いに行くことすらしなかった。


今思えば、
忙しさを理由に、ばぁちゃんという存在から、
逃げていたというのが正しいかもしれない。
















ある日、母から、携帯に留守電が入っていた。




「ばぁちゃんが、ばぁちゃんが・・・」




と、母の重く、苦しい声が、事の重大さを告げていた。




僕は、電話を握り締めたまま、
無我夢中で走っていた。






そう、今と同じように・・・











病院に到着したときには、




ばぁちゃんは冷たくなっていた。




最後に交わした言葉のまま、




別人のように変わり果てた姿を、
僕はただ、呆然と見つめるだけだった。





母が、



「ばぁちゃん最後まで、あんたを待ってたんだよ。」



と呟いて、一枚の紙を差し出した。











そう、それは、


お稲荷様を壊した時に、
ばぁちゃんに反省の意味を込めて書いた約束の手紙だった。






「ばぁちゃんへ
 本当に、本当にごめんなさい。
 ぼくは、もう二度とこういうことをしないように、
 ばぁちゃんと5つの約束をします。

  1、おいなり様は、来年のおとしだまを使ってなおします。
  2、毎日、ばぁちゃんの手伝いをします。
  3、毎日、ばぁちゃんのかたたたきをします。
  4、大人になったら、ばぁちゃんをいろんなところにつれいてきます。
  5、大人になってもばぁちゃんのことを大切にします。
 
 本当にごめんなさい。ゆるしてください。 
                                 たかひこ  」











僕は涙が止まらなかった。




そして、このとき初めて、自分自身の人生を悔いた。



どうして、



もう少し早く気づかなかったんだ。



どうして、



自分自身の気持ちばかりを貫き通したんだ。






「人は、失ってから後悔する。」






そう、僕は大切なことを見失っていた。



後悔だけしか残っていなかった。



















家の明かりが見えてくる。





いつしか僕は涙ながらに叫んでいた。






「ばぁちゃん!!」


(つづく)

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このページは、cmemberが2010年11月30日 09:00に書いたブログ記事です。

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