前口上
2005年の11月14日、「シーフォースのブログが始まったのだ!」で
このシーフォースのブログがスタートした。最初のその記事は私だった。
当初サイトリニューアルに際して何か付加価値を、と思いつきで始めたブログ。
いつしか気付いたら5年になっていた。
先月の10月4日の私のブログでもそのことは触れたが、メンバーも大半が変わり
いまだに変わっていないのは私と赤様になってしまった。
継続することの大変さと面白さ、節目節目で感じる充実感、
そんなことを考えながら、実は先週社長よりシーフォースのブロガーに対して
ねぎらいの言葉を戴きつつ次のブログから何か始めようという宿題も戴いた。
そこで出たいくつかの案の中でこんなことやろうよ、ということに決まったのが・・・
2週間の期間限定で新しい試みをしてみることになったのだ。
この私の回から2週間は、いわゆる通常の今までブログにはならない。
月曜の私「cozy」から始まり、火曜日の「どうも、僕です。」さんへ引き継ぎ、
さらにもう一周して二週間目の金曜日「赤様」で終わる、
壮大な?物語がスタートするのだ。
物語? そう物語なのだ。
ブログは日々の感じたことを書くのが相場だ。
言い換えればエッセーみたいなものだ。
散文になる場合もある。でも今回は物語をリレー形式でやってみようというわけだ。
初回の私はどうスタートするのかをある程度決定づけてしまうので責任重大だが、
次のブロガーさんはその話をどう繋げていくのかという難しさもある。
増してや考える余裕は一日しかない。
これはなかなか手強い。
そんなわけで物語はスタートする。結末は当然私はわからない。
ラブストーリー? ファンタジー? 歴史物?
それは次の皆さんが決めるのだ。
これはちょっと見物だ。
おっと、そろそろ前置きが長いと叱られそうなのでこのへんで。
どうぞお楽しみを!
第一回
暑い熱帯夜の昨日
そのけだるさを引きずるように
僕は目覚まし時計のけたたましさに起こされた。
何時頃まで飲んでいたのだろうか。
久しぶりに早く帰れることになり、急遽職場の仲間と飲みにいくことになった。
なんだかんだと他愛もないことで妙に盛り上がって
気付いたら11時を回っていたのは憶えている。
まだまだ終電までは時間がある。
そう思っていたけど、次第にみんなは話し疲れたのか、
誰言うともなく帰ろうかということになったのだった。
「どっちにしても休日の明日は実家に帰るんだから」
そう思えばあまりのんびりとしてもいられなかった。
起きて最初の日課であるシャワーを浴びて目を覚ます。
テレビからは、また芸能人の誰それの恋愛が発覚しただの
政治家の軽率発言で国会が紛糾しているだのと
どのチャンネルも同じような退屈なニュースを流していた。
いれたてのネスカフェを飲みながらぼんやりとそれを眺めていた。
そそくさといつも通りに僕は駅に向かった。
今日は東京から電車で数時間の実家に帰る。
年末年始の時以来だからもう半年以上経っていた。
上野から発車するその列車に乗り込み窓から空に目をやると
朝だというのに大きな入道雲がすでにでき始めていた。
どうやら今日も蒸し暑い一日が始まりそうだ。
そんな雲を見ながら僕は高校時代のことを考えていた。
夏が大好きだった僕は自動二輪の免許を高校時代の夏に取った。
すぐに友人から譲り受けたHONDAのCB350に乗り、
夏の週末は地元の観光地へツーリングに出かけるのが楽しみだった。
いく先々で見る風景と共にやはり夏の空とその雲は、
今でも夏の風景として強烈に心と頭に焼き付いていた。
今回帰省することにしたのには理由があった。
母の実家で毎年夏に行われる祭りを見ることだった。
狭い街ながらも神輿を担いで練り歩き、神社に奉納する
どこにでもあるような祭りだったが、その夜の町の活気が楽しかった。
神社の参道には多くの出店が連なって、
飴を買ったり、焼そばを食べたり、そんなことがとても楽しかった。
普段は早く寝るように父からも言われるのに、
この日に限ってはそれもない。
夏の日の田舎の街の夜は闇が深い。
地方ながらも賑やかなところに住んでいた僕にとっては
神秘的な夜でもあった。
そんな祭りに小学生の頃には毎年行っていたのに、
なぜか中学で行かなくなって、
高校時代には一度だけ行ったきりだった。
考えてみるとそれ以来一度も行っていなかった。
今回は久しぶりの帰省と、子供の頃の思い出になってしまった
母の実家の夏祭りを大人になった自分がどう楽しめるのか、
そんなことも体験してみたかった。
時間に余裕もないので、先に母の実家のある町に
直接向かうことにしたのだった。
そんなことを考えながらいつしか僕は寝てしまっていた。
列車の揺れがなおさら眠りを誘ったのだった。
これから起きることはなにも知らずに。
(つづく)
2005年の11月14日、「シーフォースのブログが始まったのだ!」で
このシーフォースのブログがスタートした。最初のその記事は私だった。
当初サイトリニューアルに際して何か付加価値を、と思いつきで始めたブログ。
いつしか気付いたら5年になっていた。
先月の10月4日の私のブログでもそのことは触れたが、メンバーも大半が変わり
いまだに変わっていないのは私と赤様になってしまった。
継続することの大変さと面白さ、節目節目で感じる充実感、
そんなことを考えながら、実は先週社長よりシーフォースのブロガーに対して
ねぎらいの言葉を戴きつつ次のブログから何か始めようという宿題も戴いた。
そこで出たいくつかの案の中でこんなことやろうよ、ということに決まったのが・・・
2週間の期間限定で新しい試みをしてみることになったのだ。
この私の回から2週間は、いわゆる通常の今までブログにはならない。
月曜の私「cozy」から始まり、火曜日の「どうも、僕です。」さんへ引き継ぎ、
さらにもう一周して二週間目の金曜日「赤様」で終わる、
壮大な?物語がスタートするのだ。
物語? そう物語なのだ。
ブログは日々の感じたことを書くのが相場だ。
言い換えればエッセーみたいなものだ。
散文になる場合もある。でも今回は物語をリレー形式でやってみようというわけだ。
初回の私はどうスタートするのかをある程度決定づけてしまうので責任重大だが、
次のブロガーさんはその話をどう繋げていくのかという難しさもある。
増してや考える余裕は一日しかない。
これはなかなか手強い。
そんなわけで物語はスタートする。結末は当然私はわからない。
ラブストーリー? ファンタジー? 歴史物?
それは次の皆さんが決めるのだ。
これはちょっと見物だ。
おっと、そろそろ前置きが長いと叱られそうなのでこのへんで。
どうぞお楽しみを!
第一回
暑い熱帯夜の昨日
そのけだるさを引きずるように
僕は目覚まし時計のけたたましさに起こされた。
何時頃まで飲んでいたのだろうか。
久しぶりに早く帰れることになり、急遽職場の仲間と飲みにいくことになった。
なんだかんだと他愛もないことで妙に盛り上がって
気付いたら11時を回っていたのは憶えている。
まだまだ終電までは時間がある。
そう思っていたけど、次第にみんなは話し疲れたのか、
誰言うともなく帰ろうかということになったのだった。
「どっちにしても休日の明日は実家に帰るんだから」
そう思えばあまりのんびりとしてもいられなかった。
起きて最初の日課であるシャワーを浴びて目を覚ます。
テレビからは、また芸能人の誰それの恋愛が発覚しただの
政治家の軽率発言で国会が紛糾しているだのと
どのチャンネルも同じような退屈なニュースを流していた。
いれたてのネスカフェを飲みながらぼんやりとそれを眺めていた。
そそくさといつも通りに僕は駅に向かった。
今日は東京から電車で数時間の実家に帰る。
年末年始の時以来だからもう半年以上経っていた。
上野から発車するその列車に乗り込み窓から空に目をやると
朝だというのに大きな入道雲がすでにでき始めていた。
どうやら今日も蒸し暑い一日が始まりそうだ。
そんな雲を見ながら僕は高校時代のことを考えていた。
夏が大好きだった僕は自動二輪の免許を高校時代の夏に取った。
すぐに友人から譲り受けたHONDAのCB350に乗り、
夏の週末は地元の観光地へツーリングに出かけるのが楽しみだった。
いく先々で見る風景と共にやはり夏の空とその雲は、
今でも夏の風景として強烈に心と頭に焼き付いていた。
今回帰省することにしたのには理由があった。
母の実家で毎年夏に行われる祭りを見ることだった。
狭い街ながらも神輿を担いで練り歩き、神社に奉納する
どこにでもあるような祭りだったが、その夜の町の活気が楽しかった。
神社の参道には多くの出店が連なって、
飴を買ったり、焼そばを食べたり、そんなことがとても楽しかった。
普段は早く寝るように父からも言われるのに、
この日に限ってはそれもない。
夏の日の田舎の街の夜は闇が深い。
地方ながらも賑やかなところに住んでいた僕にとっては
神秘的な夜でもあった。
そんな祭りに小学生の頃には毎年行っていたのに、
なぜか中学で行かなくなって、
高校時代には一度だけ行ったきりだった。
考えてみるとそれ以来一度も行っていなかった。
今回は久しぶりの帰省と、子供の頃の思い出になってしまった
母の実家の夏祭りを大人になった自分がどう楽しめるのか、
そんなことも体験してみたかった。
時間に余裕もないので、先に母の実家のある町に
直接向かうことにしたのだった。
そんなことを考えながらいつしか僕は寝てしまっていた。
列車の揺れがなおさら眠りを誘ったのだった。
これから起きることはなにも知らずに。
(つづく)