ジョホールバルの歓喜

~南アフリカワールドカップまで、あと7日!~

text by 赤様

ドーハの悲劇から4年後の1997年。
悲願のワールドカップ出場へ向け、
日本代表はフランス大会の最終予選を戦った。

その最終予選は10ヶ国が2組に分かれ、
各組1位になれば無条件で、
2位の場合でも、もうひと組の2位との第3代表決定戦に勝てば、
本大会出場が決まる。

初戦、日本はウズベキスタンに6-3で大勝するが、
第2戦、UAE(アラブ首長国連邦)に0-0で引分けた。

そして第3戦、最初の山場の韓国を迎える。
日本は山口の華麗なループシュートで先制するが、
試合終了間際に立て続けに2失点を喫し逆転負け。
これで早くも1位通過が絶望的になる。
と同時に、不穏な空気が日本代表をとりまき、
マスコミが加茂監督の責任問題を煽りはじめた。

続く第4戦、アウェーのカザフスタン戦。
秋田のゴールでリードした日本だが、
ロスタイムに同点ゴールを許し引き分ける。
勝てた試合を落としたショックもあり、
サッカー協会内部も大混乱に。
その晩、緊急の記者会見が開かれ、
加茂監督の更迭と、
ヘッドコーチだった岡田武史の監督就任が発表された。

第5戦、ウズベキスタン戦。
先制され、終始主導権を許す苦しい展開に。
もうダメなのかと諦めかけた試合終了間際に、
日本はディフェンダーも相手ゴール前にあげ、
4トップという崖っぷちの勝負に出る。
これが功を奏し、呂比須のゴールでかろうじて引き分けた。

第6戦、UAE戦に引き分け、
この時点で他力でしか2位の可能性がなくなった日本。
もうあとがなくなり、鬱憤がたまったサポーターが、
試合後に国立競技場周辺で暴れる事態となった。

第7戦、アウェーでの韓国戦。
2番目の山場だと思われていた試合だったが、
すでにこの組1位を決めていた韓国は歓迎ムード。
韓国サポーターからは「一緒にワールドカップへ行こう」
という日本語の横断幕まで掲げられ、日本を好意的に迎えたのだ。
試合は2-0で日本の勝利。
ライバル韓国から背中を押される形で2位に浮上した。

そして、第8戦。
ようやく調子が上向いてきた日本は、
カザフスタンに5-1で快勝し、この組の2位を確定。
最終戦にして、なんとか第3代表決定戦への出場権を得た。

1997年11月16日。日本代表の一番長い日がやってきた。
ワールドカップフランス大会アジア第3代表決定戦が、
マレーシアのジョホールバルで行われた。
いわゆる「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれる試合である。
相手はイラン。

GK 川口
DF 名良橋・井原・秋田・相馬
MF 山口・名波・北澤・中田
FW 三浦・中山

途中出場:城・呂比須・岡野

スタジアムは、まるで日本国内での試合のように、
日本のサポーターで満員になった。
異国とは思えないほどの熱い声援が、
確実に選手を後押ししていると容易に想像できた。
画面に映るその光景は誇らしかった。

日本は前半に中山のゴールで先制するも、
後半開始早々に2点を入れられ逆転される。

後半18分、日本は賭に出る。
これまでエースとして君臨してきたカズ(三浦知良)と
中山のツートップを同時に下げ、
代わりに城と呂比須を投入した。
この采配があたり、城のヘディングで同点に追いつき、
ゴールデンゴール方式の延長戦に突入することになる。

延長に入る前、岡田監督は考えていた。
交代枠はまだ1枚残っていた。
選手やコーチから離れ、
ただ一人グラウンドをうろうろしながら熟考しているのが、
テレビ画面から見てとれた。
その足が止まると頭をあげ、岡野を呼んだ。
岡野はウォーミングアップのペースを速めた。

延長戦開始と同時に、岡野は北沢に代わって出場。

岡野は走った。
中田からのパスに何度もゴールに迫る。
イランは疲労から徐々に足が動かなくなる。
そんな状況でも岡野は、再三のチャンスもモノにできない。
ゴールキーパーとの1対1の決定的なチャンスでさえ逃し続ける。
岡田監督が必死の形相で岡野に向かって叫ぶ。
見ているこちらも歯がゆい思いで画面を見つめた。

PK戦を覚悟した延長後半13分。
中田のシュートのこぼれ玉を岡野が走りこみ、
右足でスライディングシュート。ようやくゴールに押し込んだ。
「最後は岡野ーーーーっ!」というあのシーンである。
日本は劇的なゴールでワールドカップ初出場を決めた。

アナウンサーも解説者も絶叫。
岡田監督は他のどの選手よりも早くベンチを飛び出し、
諸手を挙げて岡野のもとへ全力で走っていった。
岡野は顔や長い髪をつかまれ、もみくちゃにされた。
彼を中心に幾重にも輪ができた。
日本のサッカーファンにとって永遠に忘れられない瞬間だった。

試合後のインタビューで、
岡田監督は勝因を「コンディショニングだ」と言った。
日本代表は1週間も前に現地入りし、
気候になれるための準備を怠らなかった。

一方イランは、試合直前まで飛行機の手配がつかず、
直前になってやっと確保できたのは、
乗り換えを要する約36時間もの長旅だった。
コンディションは最悪だった。

この予選は、その過程で多くのドラマがあり、
また、最終的に念願の初出場を決めたこともあり、
古くからサッカーを見ている人にとっては、
最も印象に残っている予選であろう。

まだ見ぬワールドカップ出場という目標に向かい、
悪戦苦闘したこの道のりは、
信じて走り続けることの大切さを証明してみせた。
日本サッカー界の最も美しい物語が結実した瞬間だった。

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このページは、cmemberが2010年6月 4日 09:00に書いたブログ記事です。

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