神在月(かみありづき)

text by 赤様

10月は陰暦で「神無月(かんなづき)」と言います。
これは、全国の神様が出雲の国に行ってしまって、
僕らの周りからいなくなってしまうことに由来します。
代わりに、神様が全国から集まってくる出雲の国では、
「神在月(かみありづき)」と言うのだそうです。

では、神様はなんのために出雲の国に集まるのでしょうか。
全国から集まった神様は、年に1度、この時期に話し合いをします。
彼らは、人間にはわからない、これからこの世で起こることを、
その話し合いで予め計りに掛け、決めているのだそうです。

これに沿って解釈すると、
僕たちのこれから遭遇する現実は、
全てこの話し合いですでに決められていること、となります。

出雲大社は縁結びの神様として有名ですが、
この「縁」とは、物事と人、または人と人のつながり、全てを含みます。
事件や、事故にあうことから、
仕事や遊びも含んだ事態での出来事や、
あなたが街ですれ違う人やコミュニケーションをとる人まで全てです。

誰でも思いがけない不思議なめぐり合わせがあったり、
災害に遭ったり、急死に一生を得たりする。
そういった、目には見えないもの全てが「縁」なのだそうです。

それを、この話し合いで前もって決められていると考えると、
なんだか不思議でもあり、また恐くもあります。

まあ、そもそも、神様がいるかどうかは、わかりませんし、
この説も、ひとつの言い伝えにすぎないと言えば、それまででしかないのです。
また、個人の認識にも差があります。

でも、良くも悪くもみんな「困ったときは神頼み」をするでしょうし、
正月には初詣に行き、結婚式では三々九度をし、
お宮参りや、合格祈願もします。
それに、全国各地で観光の目玉になっている有名なお祭りは、
その多くが神道のものです。

少なからず、僕らにも宗教観というものはあると言っていいでしょう。
まあ、それは置いといて、出雲の神様の話しに戻しましょう。

神様がその話し合いで、
何をどんな理由で結論づけるのかはわかりませんが、
ただやみくもに判断するのではなく、
何かしらの判断材料がやっぱりあると思うのが、
自然な流れだと思ってしまいます。

そう考えると、よくみんなが口にする「普段の行いが・・・」なんていうのは、
あながち根拠のないものとは言い切れなくなってしまいます。

やっぱり弱い自分と戦ったり、誘惑に流されないように、
頑張らないといけないようですね。
自分自身の神様に見放されないように。
いざというとき「Oh My God!」とならないようにしたいものですね。

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このブログ記事について

このページは、cforceが2009年10月 2日 09:00に書いたブログ記事です。

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