text by 赤様
10月28日の夜のニュースは、
高橋尚子引退のニュースから始まった。
シドニー五輪で金メダルを取って、一躍お茶の間の人気者になり、
陽気な性格で「Qちゃん」の愛称で親しまれた。
Qちゃんと呼ばれるのは、
彼女がリクルートに入社したときの新人歓迎会で、
「オバケのQ太郎」を歌ったから、というのは有名な話し。
実はその前夜、彼女は寮の自室で布団にくるまり、
カセットに自分で歌を吹き込んだ。
振り付けも自分で考えた。
衣装は身のまわりにあった、アルミホイルと包帯。
当日はそれだけを身につけて踊った。
その準備のよさもあって、大爆笑を誘ったのだ。
そのQちゃんも、もう36歳。
小出監督が「Qちゃんはかけっこが大好きでね・・・」と言うとおり、
高橋がここまで続けてきた糧は、好きなことを追求しつづけてきたこと。
それと同時に、走ることへの情熱も人並みはずれていたことだろう。
大学を卒業し企業に就職するときに、
有望選手は企業から誘われたり、縁故で入るのが通例だが、
高橋は、勧誘されている企業ではなく、
何の誘いもなかったリクルートに自ら売り込みに行った。
有森裕子を育てた小出監督のところで自分を磨きたいと思ったからだ。
しかし当時のリクルートは、
大卒の女子を採っていなかったため一度は断られるのだが、
そこを再度お願いして入ったという経緯がある。
シドニー五輪金メダルやベルリンマラソンで世界記録の更新と
競技人生は輝かしいものだが、
数ある実績の中で、僕が最も素晴らしいと思うのは、
猛暑のなかで好記録を出した、1998年アジア大会でのレースだ。
気温30度、湿度90%、灼熱の太陽が降り注ぐ最悪のコンディション。
その中を5kmすぎから独走し、
当時の世界記録に1分差まで迫る驚異的な記録で優勝した。
しかも、競り合う選手もなく、ペースメーカーもいなかったこのレースは、
世界の陸上関係者に、当時無名だった「タカハシ」の名を
刻みこませるほどの衝撃だった。
僕らは目標にチャレンジするその姿をみたいからスポーツを見る。
高橋はそれを明るく華やかにやってのける。
それも世界のトップレベルの領域で。
他にはいない稀有なランナーだった。
そんな素晴らしい実績と親しみやすい人柄の彼女に憧れて、
陸上を始めた選手は多い。
今の日本代表選手でも、彼女と同じレースで走れることを喜ぶ選手がいるほど、
一目置かれる存在だ。
先日引退した朝原宣治も、同じように選手に慕われていたが、
朝原と同じ1972年生まれで、引退も1ヶ月しか違わないのは何の因果か。
今後は第一線を退いても、一般の市民ランナーとして走ることを宣言した高橋だが、
市民ランナーに、そして本格的にマラソンをしたことがなかった市民に、
「走ることは楽しいことなんだ」と、
マラソンを明るいイメージに変えてくれた功労者でもある。
そんな彼女には、いつまでも走り続けてもらいたいと思うのである。