text by 赤様
北京オリンピック陸上男子4×100mリレーで、
日本リレーチームが銅メダルを獲得した。
それは、日本陸上界を背負ってきた男の結実の瞬間でもあった。
アンカーを担った朝原宣治。彼はもう36歳。
短距離の世界では、とっくに引退してもおかしくない年齢である。
「最後」と公言していた昨シーズン終了後、
「まだ身体が動くのにもったいない」と引退を撤回。
世界陸上で出した10秒14は、去年1年間で日本人最速だった。
北京を新たな目標とした。
そして望んだ今シーズン。
風邪をおして出場した4月の大会で、10秒17という
その年齢にしては驚異的な記録を出して関係者を驚かせた。
その記録に、僕らは少なからず期待を抱いた。
それがこの北京で現実となった。
日本陸上界にとって、男子ではトラック種目初めてのメダルだ。
世界の短距離界は、黄色人種はおろか白人でさえ太刀打ちできない、
黒人が圧倒的な優勢を保つ世界。
そのなかでオリンピックで1度、世界陸上で4度、100mで準決勝に進出するなど、
与えた功績は計り知れない。
また朝原は、記録だけではなく、周囲からも尊敬される人物だ。
「朝原さんにメダルを!」と声が上がるくらい、
向上心と練習熱心さからくるその姿勢は、周囲を唸らせる。
まさに日本陸上チームの中心人物であるのだ。
以前こんなことがあったそうだ。
朝原婦人はバルセロナオリンピックでシンクロに出場した奥野史子だ。
そのオリンピックで、彼女はソロとデュエットで2つの銅メダルを獲得した。
当時同志社大学で同級生だった奥野は、
帰国すると朝原とそのメダルをひとつずつ首に下げ、2人で記念撮影をした。
そのとき朝原は「いつかは俺もメダルを」と密かに思ったそうだ。
それから16年。ついにこの日がやってきた。
朝原を目標にしてきた若い選手がたくさんいる。
その結果、日本の短距離界のレベルが少しずつ上がってきた。
今月23日、スーパー陸上が朝原の現役最後のレースになる。
この功労者を日本陸連は、もっと称えるべきである。