鉄道マニアも楽しいもんだよ

今回はマニアックな話でゴメンナサイ。

実は私は元・鉄っちゃんである。
地方から出てきて東京で学生生活を始めたことで、
それまで憧れだった車輌が身近にあって、
それだけでもうれしかったものだ。

週末は田端によく行った。
バイト先が田端にあって、駅からバイト先に至る田端大橋から
車輌が多数停車しているのが見えた。
それ以来休日には車輌の写真を撮りに訪れたりした。

当時はまだ日本国有鉄道(JNR)、通称「国鉄」の頃で
国鉄時代の首都圏の主要機関車などが随分と見られた。
EF65型やEF58型など、今でも活躍しているが希少となった
電気機関車もごく普通に集っていた。

ごく普通というのは今では少ないということ。

民営化されてJRになってからさらに新型車両が登場し、
今ではすっかり浦島太郎状態で、詳細はわからなくなったけど。
その裏で、整備新幹線が開通したり、地方の路線が配線になったり。
それによって廃車に追い込まれた車輌も結構ある。

そんな廃車された車輌の中で、とりわけ印象に残っているのが、
写真の電気機関車であるEF63型。

ef63_01.jpg
EF63型の重連。この姿、しびれるね。
この後、特急列車の上野側に連結され、峠を登った。


実はこの機関車は、ある特定の区間だけに使用される補助機関車なのだ。
その区間とは、信越本線、今は無き横川駅と軽井沢駅の急勾配区間碓氷峠だ。
急勾配ゆえ列車自力で昇降できない箇所を、補助機関車でサポートする、ということだ。
今では在来線は横川までとなり、以降の運転はバスになってしまっている。
代わりにこの区間は長野新幹線では安中榛名と軽井沢を一気に結ぶ。

usui.jpg
碓氷峠にあった煉瓦造りの「めがね橋」。
アブト式が活躍していた頃の橋梁跡。


その昔、この区間は勾配がきつく、2本の線路の間にラックと呼ばれる歯を配置して、
その歯に機関車の動輪に付けたピニオンギアを噛ませて急勾配を登る、あるいは下る
という方法が採られていた。
この方式を、アブト式という。
この横川-軽井沢間は通称「よこかる」と呼ばれていて、
1893年〜1963年にその特殊なアブト式の機関車が活躍していた。
時代が変わって、新性能の車輌が登場して、アブト式は廃止され、
それの代替として登場したのがこのEF63型電気機関車なのだ。

当時の標準的な同等のEF形式の電機機関車より車重は12トン位重い108トン。
ラックを使わず、動輪の回転のみで勾配を運転する方式(粘着方式)のため
車重を重くしているのだ。
また、その重量級の車輌を2重連で使用するため、
正面には行き来できるよう扉がついている。
さらに急勾配専用ということで、電磁吸着ブレーキという
レールに磁力をかけて停車するなどの特殊装備が目立つ。
そして、各種の車輌の後押しをする立場上、複数形式に対応し、
協調運転が出来るように、正面の機器の説続機器類も複雑だ。
(ホース類がやたら多い)
同様に、車輌を結ぶ連結器も電車と機関車・貨車などは違う形式のため
どの連結器でも使用できるよう特殊な連結器になっている。

ef63_02.jpg
EF63の重連の連結部


そんなわけでこの機関車、「峠のシェルパ」と呼ばれマニアに親しまれた。

この特殊な事情で、この機関車は全国にここにしか存在しなかった。
(実際には、碓氷峠以外にもこのような特殊な事情があるエリアでは
そのエリアに合わせて、このような峠のシェルパが存在していた。)

ところで形式のEFというのは随分昔に決められた呼称で、
Eが電気機関車を意味する。次のFは動輪の軸数。
Bから最大でHまであって、アルファベットの番目で数えるのだ。
例えばBなら2番目なので2軸、Cは3番目で3軸、Dは4番目で4軸、
EFはFが6番目なので6軸あるということだ。
都心でも見かけることのある電気機関車の大半はEF型で、
1台車に4輪あって、1台車あたり軸数は2、1車体にその台車が3つある。
因みにEFに続く数字はかつては10番台から90番台まであって
ボクらの子供の頃は10番台や50番台が主流を占めていたが、
新性能型の開発で60番台が大量に製造され、
鉄道マニアでなくても、知っているであろう
寝台特急「あさかぜ」の牽引で有名なEF65型などがその代表といえる。
(後にEF66型に替わるが)
60番台は紺色が基調の直流タイプで、地方で見られる赤い電気機関車は
70番台の交流型である。さらに薄いエンジの車体は交直流両用(80番台)。

しかしながら、このエリアに長野新幹線が開通することで
1997年に全機が廃車に追い込まれてしまった。
今では動態保存、静態保存により何台かは保存されていて
営業運転はしていない。
力強い峠のシェルパも御役御免となってしまった。

そういえば60番台のEFの電気機関車は
EF60、61、62、63、64、65、66、67があった。
(一部は改造されてその形式になったものもある。)
近年の直流電気機関車の標準的な車輌が多い。

さて最近ではJRになってからJRが開発設計した車輌も増えてきて
めっきりこの国鉄時代の機関車は見る機会が減ってきた。
また機関車のほとんどがJR貨物の管轄になって、貨物列車での活躍がほとんど。
国鉄時代に鉄道ファンになったボクにはいささかさびしい限りだ。
かつて直流区間で王者のように振る舞っていたEF65型も
見る機会がめっきり減った感じだ。

一時代を築いた昔の電気機関車たち。
国鉄時代から好きだったボクにとってその姿は憧れだった。
いつかまたその活躍の痕跡を訪ねてみたいと思っている。

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このブログ記事について

このページは、cforceが2008年3月10日 09:00に書いたブログ記事です。

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