私がおじさんになっても

text by 赤様

かれこれ10年くらい前の話し。
日本でプレーしていた当時25歳のイチローが、
少年野球教室で教わりに来た小学生に「おじさん」と言われた。
25歳で、である。
小学生からみたら、25歳はそんな年齢なのか・・・。
そんなことを、フイに思い出した。

「おじさん」(または「おばさん」)と言われると、
あまり年齢を気にしていない者でも、いい気はしないと思うが、
振り返ると私の場合、
戸籍上の年齢があがっていっても、
自分の意識がそれに一致していないことに気付いた。
『今年も、いつの間にか12月なんだね』
てな感じに近いのだ。
意識のなかでは、マイナス5歳くらい。

で、例えば親戚の集まりなんかがあると、
甥っ子や姪っ子の成長に驚き、
久しぶりに会った叔父や叔母の老け具合を見て、
最初は、その変わりように驚いたのも束の間、
実は自分も同じだけ歳をとっていることに気付いて愕然とする。

誰もがそうなのか、聞いてまわったワケではないが、
おそらく、自身の意識と、実年齢とに明らかなギャップがある。
そんなように感じている方、多いんじゃないでしょうか?

でも、時間に対する感覚が麻痺しているのでもなく、
そんなに年月が経っているはずがない、という願望でもなく、
単に公私ともにやらねばならない自分の社会的責任をこなすあまり、
自分の成長に目を向ける余裕がなかったり。
学生のように、1年先輩だ、後輩だということが、
あまり意味を成さなくなったり。
もしかして、そんなことが原因なのだろうか?

そんなことが根底にあるから、
それらの複雑に絡み合った思いが、
まだ、それらを味わっていない者から
「おじさん」「おばさん」と言われるとシャクに思うのだろう・・・
などと考えたりする。

以前、♪わたしがおばさんになっても~
という森高千里の歌があった。

学生のころより、社会に出てからの方が、
明らかに時間を気にして毎日を過ごしているのに、
年齢を重ねている感覚だけが希薄になってくるのは、どうしてなのか?

私がおじさんになっても、この謎は解けないかもしれない。

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このブログ記事について

このページは、cforceが2007年12月21日 09:00に書いたブログ記事です。

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