岡田監督の決断の影にあるもの

text by 赤様

岡田武史氏がサッカー日本代表監督に就任した。
オシム監督が脳梗塞で倒れての、その後任だ。

オシム監督は、国際サッカー連盟の会長が直々に「お見舞いさせてくれ」と言うほど、
欧州においては抜群の知名度を持つ。
出身地の旧ユーゴスラビアが内戦のときに、同国の監督を務めたのは世界的に有名だ。
6つの共和国、5つの民族で構成されるその連邦国家のなかで、
内戦の泥沼化とともに高まった民族意識がサッカー界にも波及した。
だが、「わが民族の選手を代表チームのレギュラーに」という圧力が、
軍部の言いなりになったメディアとともにオシム監督に襲い掛かっても、
彼は自分の信念を貫き通した。
自身や家族の命が危険にさらされる可能性があったにもかかわらず。
それほどサッカーに対して情熱を持っている人物だ。

おそらくそのことを知っているであろう岡田監督は、就任会見でこう述べた。
   「オシムさんがこのような形で
   日本代表の監督を続けることができなくなったというのは、
   サッカー仲間として、監督仲間として、非常に心が痛む」
と、任期途中で交替した無念さを察した。
だから、就任時の恒例行事である、
笑顔で川渕会長との記念撮影や、高級ボールペンでの調印式をせず、
オシムさんへの配慮を見せたと言われている。

また、岡田監督自身については、
   「よく『人生はわからない』と言うが、
   一週間前には、自分が監督に就任するとは考えてもみなかった。
   考えれば考えるほど、引き受けられないなという気がしていたが、
   何か、これはやらなければいけない、これはトライしなきゃいけない
   という気持ちが沸々と沸いてきていたので、やりますということで返事をした」
と、決断の経緯を語った。
相当に悩んだことが伺える。

何か未知のものに取り組もうと決断するとき、不安要素は必ずあるものだ。
そのことに自分自身のなかで折り合いをつけるか、納得をさせると、
人間はそれに対しての行動へと移せるものだ。
だが、その心の変化を、頭の中の整理を待っていては、
ときに機を逃してしまうこともある。

長い人生には、自身の分岐点とも言えるほどの重大なことを、
瞬時の判断のみで決めなければならない事もありえるのだ。
そんな状況に対処するには、ネガティブな要素が存在していても、
それにあえて目を向けずに決断しなければならないこともある。
岡田監督はそう訴えているように僕には思えた。

後に「ジョホールバルの歓喜」と語り継がれる1997年のフランスW杯予選。
本大会出場を決めたときに、真っ先に歓喜の輪の中に走っていったのは岡田監督だ。
ネガティブな要素を乗り越えたとき、
その人にしか味わえない、計り知れない歓びが待っているのだろう。
走っていく姿が何よりもそれを語っていると、今、振り返るとそう思う。

僕はオシム監督が好きで、彼が倒れたことも、監督を降板せざるをえないことも、
とても残念なことだと思っている。
だが、岡田監督のこの心意気に期待してみようと、そのときそう思えたのである。


※就任会見の発言は、日本サッカー協会ホームページより抜粋。

※この記事に興味のある方は、
 2006年06月29日付けの『次期日本代表監督候補 イビチャオシムという人物』
 (URL : http://d1011639.hosting-sv.jp/cforce.co.jp/blog/images/5/1/index.html の中段くらい)も、
 併せてご一読を。

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このページは、cforceが2007年12月14日 09:00に書いたブログ記事です。

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