無常ということ

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり
「平家物語」

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也
「おくのほそ道」

あるいは

ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず
「方丈記」


この世のものは永遠不変なものなどなくて、
常に変化している。一定の所に留まってなどいない。
昔の人も今のことを予想したかどうかわからないが
同じように考えたのがおもしろい。

このところ、私の勤務先のすぐ近く、神田神保町も激変している。
少し離れた秋葉原も同様だ。先日セミナーがあり、久しぶりに
下車した秋葉原も、以前訪れた時とは比べものにならないほど
大きく変化していたからだ。駅を出てから迷いそうになった。

そういえば、デザイナーを始めた頃、神田神保町には
よく古本を漁りに訪れたものだ。
九段下の俎橋から始まる古本屋街は、
まるで宝の山が集まっているような気がしていた。
今ではそれも駿河台下の交差点あたりで途絶えて
それより向こうはスポーツ店が立ち並ぶ。
小さな古書店はあのころに比べると随分減った。
決していかした街ではなかったが、文化の香りがして
それはそれで好きだった。
そのころ沢山あった喫茶店も今では数えられるほどになってしまったし。

まだまだここで終わり、というわけではない街の再開発は
一体どこまで行くのだろうか。実は興味津々である。
古いものだけに固執するつもりはないけど、
少し淋しいのも事実である。
とはいえ、街が新しいカタチに向かって変化しているのを
肌で感じるのもそれはそれで楽しい。

ところで、
今回のタイトルは高名な評論家・小林秀雄の本のタイトルと同じだが、
随分昔、この本を読んで、正直何をいっているのか
理解できない自分がいたのを思い出す。
数十年たったいまは、少しは理解できるようになったのだろうか。
今度再チャレンジしてみようか。

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このブログ記事について

このページは、cforceが2007年6月25日 09:00に書いたブログ記事です。

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