text by 赤様
関ヶ原の合戦前までは、
日本では京都が文化の中心で、
あらゆるものが京都から全国へと広まっていった。
京都から全国に伝わるから、
それらのものは京都から「くだる(下る)」ものと言われ、
多くの人々にもてはやされた。
それに対して、
京都ではないところから発信されたものは、
下ってきたものではない、ということで、
「くだらないもの」と言われた。
これが「くだらない」の起源なんだとか。
でも、この世の中に「くだらないもの」なんて無いと、
僕は思っている。
僕自身のなかで、
価値観が違ったり、
興味の度合いが高くなかったりするものが、いろいろあるが、
どんな物事にでも、
きっと面白さはひそんでいると思っている。
趣味やコレクションなんかが、その最たる例だが、
他人が熱中しているものなんて、
全く興味のない人からみれば、くだらないものだ。
「なぜそんなものが・・・」
と思えることはよくあること。
でも、そこに楽しさを見出したら、
それはその人の勝ちだと思う。
これまで、いろんな人と話しをしてきて、
興味があることの話しを聞いてきたが、
目を輝かせながら語るその姿を見ると、
こっちまで嬉しくなることがある。
それほど魅力的に表現できて、
人にその良さ、楽しさを伝えられたら、
それは素晴らしいことだ。
どんなことでも、掘り下げれば掘り下げるほど、
その物事の面白さはどんどんみえてくると、僕は思っているし、
何事も深く知れば、その神髄がわかってきたりする。
また、ひとつのことを深く知ることによって、
全く違う分野に、共通する何かが見えてきたりすることもある。
何かを極めた有名人同士の対談で、
彼らの間に、通じるものが発見される様子は、
メディアなどでよく目にすることだ。
そんな次元にまで極められたら、
いろんな面で楽しいだろうなと思える。
でも、そんな究極的なところまではいかなくても、
僕ら凡人レベルでも、
深く探求することは、
人生に喜びや潤いを与えると思うし、
分かり合える人同士の輪をひろげることにも繋がる。
また経済面では、
需要を拡げるなんて、デカいところにまでおよんでくる。
今後、多様化は加速するハズだ。
そんな探究心を持つことが、
これからの社会では重宝されるだろうと思うし、
その方が人生、面白いと僕は思う。