text by 赤様
先日、ちょっと素晴らしい番組をみましたので、ここで紹介します。
僕が大好きで欠かさず見ている「情熱大陸」です。
2月24日の放送で、
ある高校の食品流通科の授業が取り上げられていました。
見ていない方のために、簡単に説明すると・・・。
生徒がひとつずつ有精卵を受け持ち、
孵化を見守り、餌を与えて飼育し、ひよこから鶏へ成長させ、
最後に自らの手で殺し、食すという授業の模様です。
順調に育っていく鶏もいれば、
かえらない卵があったり、
殻を破れないで力尽きる雛がいたり、
障害をかかえた鶏がいたりと、
生きものとして無事に成長していくことは、
絶妙なバランスの上に成り立っているのだと、
まず、認識させられます。
生徒は、自分の卵に名前をつけるところからはじまり、
ちゃんと餌を食べているか、
元気そうに歩きまわっているかと、
毎日のように観察します。
ときには元気がなさそうなこともありますし、
身体に疾患が見つかることもあります。
心配そうに見つめる姿は、
もう人間と家畜という関係ではなく、
まるで親子のようです。
どんどん愛着が湧いていくのが見てとれます。
命と向き合うことによって生まれるこれらの感情は、
僕はごく自然なことだと思います。
残酷ですが、そんな鶏を、最後には処分します。
そのとき、生徒には2つの選択肢が与えられます。
ひとつは、業者に頼んで屠殺(とさつ)してもらうこと。
もうひとつは、自らの手で命を絶つこと。
割合は、わかりませんでしたが、
かなり多くの生徒が、自らの手で鶏の命を絶ちました。
なぜ、生徒は業者に任せる方を選ばなかったのでしょうか。
僕が思うのは、愛着の湧いた目の前の小さな命を、
他人の手によって絶つという選択は、
彼ら、彼女らには考えられなかったのでしょう。
このシーンは強烈でした。
生徒たちが泣きながら鶏を殺めるシーンは、
僕も痛烈に心が痛みました。
鶏を育てた生徒たちにも葛藤があり、
その様子は画面からひしひしと伝わってきました。
誰もが解っていることですが、
他の命の犠牲のもとに、僕ら人間の命は成り立っています。
でも、文明が進み分業化した現代では、
自分が食すものを、自らの手で殺す作業をせず、
業者という他人に、それをさせています。
もし、自分が食すものは自分で飼育し、
自分で処分しなければならなかったら、
あなたは、どうしますか?
でも、考えてみれば、
人間はそうして、これまで命を繋いできたんですよね。
いただきますとは「命をいただきます」という説もあるとか。
生きとし生けるもの、皆同じように価値があります。
グルメとか、何がおいしいとか、それもひとつの喜びですが、
それ以前に、
人間が生きるために、こういう事にきちんと向き合い、
そして、感謝を忘れないことが大切なのではないでしょうか。