自分で決めるということ

text by 赤様

決断するというのはたいへんなことだ。
「人生は、選択の連続である」とシェイクスピアは言ったらしいが、
そう聞くと、
どんな時代であれ、人間が生きていくためには、
常に何らかの決断を迫られているのだと思う。

今、多様化の時代と言われるが、
日々の生活のなかでも、
誰もが毎日、大なり小なり、何かを決めている。

今日は傘を持っていくべきか、夕食は何を食べようか、
という小さなことから、
どんな仕事をしていくのか、老後をどう考えるのか、
人生を有意義にするにはどうすべきか、
という大きなことまで、選択することは山ほどある。

様々な事柄を、ルールや常識、過去の経験、価値観など、
自分なりの物差しをもって何かを選んでいる。

ありふれた日々の生活での小さなことなら悩むレベルではないが、
それが人生の節目、転機となると、
そう簡単に決められることではない。
誰もが深く考え、苦しいほどに悩む。
でもそれが普通だと思う。

ときに他人事のように、
気軽に、さっさと決めてしまう人もいるが、
でも、僕はそれが潔いとは思わない。
人間の人生はそんな軽いものではなし、
何かに決めるということは、何かを断念することと同じだからだ。

悩まないでサッサと決めて、
まず何かに属すことありきの、
そういう体(てい)を気にする日本人の価値観よりも、
置かれた環境を気にせず、
一見遠回りに見えるかもしれないが
課題を持って真摯に生きていく方が、
充実しているはずだし、得るものは多いと僕は思う。

むしろ本当の遠回りは、
置かれた環境を生かせなかったり、
意志を持たないことではないだろうか。

どんな状況にいても、自分の現状と未来を見つめ、
深く考えたり、苦しいほど悩むことが、
人生に一度くらいあるべきだと僕は思うし、
そうやって自らの現状と課題に正面から向き合うことは、
必ず自身を成長させるはずだ。
天は自らを助くるものを助く。

そうやって自分で考えたこと、悩んだことの積み重ねが、
人にやさしくなれたり、物事に動じなくなったりして、
また、そういう事をくぐり抜けてきた者には、
そんな何か信念みたいなものが滲み出てきて、
他人は知らず知らずのうちに、
そういうところを感じとったりするのだと思う。

自分の人生は自分にしか決められないし、
誰も自分の代わりはできない。
だからこそ、決めたことを信じて突き進む。
それができることは素晴らしいことだと僕は思う。

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このページは、cmemberが2012年10月26日 08:08に書いたブログ記事です。

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