text by 赤様
「ロックミュージシャンにあこがれてたんだけど、
僕には反抗期みたいなのがなくて、
反骨心みたいなものがないと、
ロックミュージシャンになれないんじゃないかと思っていて、
不自由なく普通に過ごせた環境がコンプレックスだった」
ミスチルの桜井和寿は、ある番組でこう答えていました。
コンプレックス。
多かれ少なかれ、人間、誰にでもあると思います。
かくいう僕もしかりです。
当事者としては、
それを隠したり、克服しようと思うのは、人間の心理です。
でも、そのコンプレックスになってる部分を、
ネガティブに捉えるか、はたまたポジティブに思えるか、
それは自分の考え方次第です。
完璧な人は良く見える反面、憎らしく思えることもありますし、
逆に、マイナス面があるからこそ、
憎めなかったり、愛嬌として見れたりもします。
隙が全くない人なんて人間味がないし、愛されない。
そう思えることは多々あります。
劣っているところがあっても、
他の部分も劣っているとは限りません。
冷静に考えれば、誰でもそう思えるのでしょうが、
でも当事者にとっては、
そのこと以外、見えなくなってしまうってことも、
ときにはあるワケです。
今年のロンドンパラリンピックにも出場した、
車椅子ランナーの廣道純という人がいます。
彼は「障害があることがハンディキャップではなく
目標がないことがハンディだ」と言います。
また、五体不満足の著者の乙武洋匡は、
不自由な状況に不満を持ったことがないそうです。
「不便だけど不幸ではない」と言います。
彼は、いまある身体を駆使して、
携帯でブログやツイッターを頻繁に投稿します。
あれがあれば、これがこうなら、とタラレバを語らず、
現状の自分にあるものをどう考えるか。
それが大事なのでしょう。
自分が思うコンプレックスの部分を、
結構、他人は見ていなかったり、気にしていなかったりするものです。
また、それと同時に、
社会全体が、他人に対する多面的な評価ができるようになることが、
不可欠のようにも思います。
人生はそんなに長くはありません。
日々、もっと楽しい事を考えて生きていきましょう。