text by 赤様
先日幕を閉じたロンドンオリンピック。
ソーシャルメディアが活躍する
初めてのオリンピックとして注目された。
これまでの主要メディアからでは伝わらなかった情報が、
ツイッター上でつぶやかれ、
僕はパソコンでツイッターを見ながらテレビ中継を楽しんだ。
北島康介が、
「水泳バカな俺を支えてくれたすべての人に感謝して、コース台に上がります」
と、試合前につぶやいたのが代表例で、
選手が、試合前の緊張感や意気込みを、試合後の喜怒哀楽を、
ストレートに表した言葉には凄みがあった。
ファンもそれに呼応してエールを送り、固唾をのんで試合を見守った。
選手から直接送信されることで、親近感が生まれ、
思いを共有することで、一緒に戦っているという感覚が芽生えた。
運がよければ返答をもらえたりもした。
こうした選手の声は、
オリンピックの盛り上がりを引っ張る要素となった。
それだけでなく、銀座のパレードの興奮も、
そうしたツイッターの効果とは無縁ではないように思えた。
オリンピックに出場した選手のフォロワー数は、
北島康介:16万人、入江陵介:12万人、潮田玲子:4万人をはじめ、
一部の芸能人には及ばないものの凄い数に膨れ上がった。
(ちなみにウサイン・ボルトは約180万人)
オリンピックの約半月の間に、
フォロワーが2倍、またはそれ以上になった選手もいたという。
選手だけではなく、メディア関係者のつぶやきもすごかった。
なにしろ生中継に対してほとんど差がなくつぶやかれ、
ちゃんと試合を見ているのか?とさえ思わせるほど。
しかもテレビの画面に映っていない会場の雰囲気も伝えてくれる。
まさに競技場にいるかのような臨場感。
また、知識の量や目の向けどころも興味深く、
報道機関の中でボツになってしまうような
レアな事柄まで網羅されている。
さらに、同時に行われている他競技の情報まで入ってくる。
さすが、情報収集を生業にしている人たちだ。
とりわけフリーで活動しているジャーナリストは、
そのつぶやき自体が宣伝活動にもなり、
なおかつ報道機関とを繋ぐ手段でもあるのだ。
個人的には、選手のつぶやきよりもこちらの方が断然面白かった。
そして、なぜ忙しい取材の合間に、
彼らはつぶやけるのか?と不思議に思えた。
後々わかったのだが、
彼らはそのつぶやきを取材ノート代わりにしていて、
いざ記事を書くときに見返すのだ。
なるほど!
そして極め付けは大会14日目、8月9日の深夜のこと。
女子サッカー決勝「なでしこジャパンvsアメリカ」、
ボルトが出場する「陸上競技男子200m決勝」、
吉田沙保里が出場する「レスリング女子55kg級決勝」、
女子バレーボール準決勝「日本vsブラジル」と、
注目の4つの競技時間が重なった。
このときのツイッターは、それはもう混乱状態だった。
会場や選手村で観戦している他競技の選手、記者、ファンが入り乱れて、
4競技への感情が様々に交錯した。
実は、2004年アテネオリンピックまで、
オリンピック期間中に選手が競技のことをインターネット上に投稿することを禁止していた。
期間中に選手の気持ちを知りえるのは、
マスコミが取材するインタビューのみだった。
それを考えると、この変わりようはもの凄く大きく、
まさにツイッターがスポーツの見方を変化させたと言っても過言ではない。
ツイッターは、まるで会場にいるような感覚で、
解説付きでいろんな人とともに観戦しているような感覚を提供してくれた。
ソーシャルメディアの今後の展開により、
また新しいスポーツの見方が増えるかもしれない。