~南アフリカワールドカップまで、あと21日!~
text by 赤様
1992年の夏。
中国で行われたダイナスティカップ。
韓国、北朝鮮、中国、日本の4チームで争われたこの大会で、
日本代表は初優勝した。
それまで全く歯が立たなかった韓国に対し、
グループリーグで0-0で引き分け、
決勝でもPK戦のうえ勝利したことが大きな話題となり、
日本サッカー界が活気づいた瞬間だった。
この年から指揮をとったのが、オランダ人のハンス・オフト。
アイコンタクト、トライアングル、コーチング、スモールフィールド、
というキーワードを掲げ、基本戦術を徹底して結果が出ると、
「オフトマジック」と言う言葉がマスコミを賑わした。
それまでスポーツニュースですら、
サッカーの話題は年に何度かしか取り上げられることがなく、
この時期から、サッカーが初めて表舞台に飛び出すことになった。
同じ年の秋、広島でアジアカップが行われ、
日本は決勝でサウジアラビアを倒し、初めてアジアの頂点に立った。
先のダイナスティカップとこのアジアカップで、
当時アジアの2強だった韓国、サウジアラビアに互角以上の試合をしたことで、
一気にワールドカップという夢が現実味をおびてきたのだ。
翌1993年。
そのワールドカップアメリカ大会の予選がはじまった。
春に、まず1次予選。
日本のグループのなかで最大のライバルとなるUAE(アラブ首長国連邦)に、
ホームで2-0、アウェーで引き分けと順当な戦いをみせ、
日本は最終予選行きを決めた。
僕はこのとき初めて日本代表の試合を観戦するが、
平日夜の国立競技場はガラガラだった。
この1次予選の1ヶ月後にJリーグが華々しく開幕するが、
まだこのときは、サッカー人気は浸透していなかった。
そして秋の最終予選。
カタールの首都ドーハに、1次予選を勝ち抜いた6ヶ国が集結。
上位2ヶ国が手にするワールドカップの切符をめぐり、壮絶な戦いが始まった。
このときの試合は、今でも強烈に頭に焼き付いて離れない。
初戦、サウジアラビアに0-0で引き分け。
2戦目、イランに1-2と敗れ、最下位に転落。
3戦目、北朝鮮に3-0と快勝。
4戦目、宿敵韓国相手に1-0で、90分以内では何十年ぶりという勝利をあげ、
最終戦を残して日本は1位に立った。
最終戦のイラク戦に、勝てば文句ナシで、
仮に引き分けたとしても、サウジアラビア、韓国のどちらかが引き分け以下なら、
念願のワールドカップ出場が決まる状況になったのである。
この韓国戦の試合後、インタビューに答えるカズ(三浦知良)は泣いていた。
最大の難関と言われていた相手にようやく勝てたということと、
夢のワールドカップに近づいたという気持ちからだろう。
そのカズの心境が、そのときの日本のサッカーに携わる人たちの思いを、
代弁していたのだと僕は思う。
しかし、日本は1位と言えども、油断は許されない状況だった。
上位下位の差がほとんど無く、5位の国までもが出場の可能性があったからだ。
そして運命の最終戦。忘れもしない1993年10月28日。
いわゆる「ドーハの悲劇」と呼ばれるイラク戦をむかえる。
GK:松永
DF:堀池・柱谷、井原、勝矢
MF:森保・ラモス・吉田・長谷川
FW:中山・カズ
結果はご存知のとおり。
試合終了間際にイラクに同点に追いつかれる。
1分後に試合終了を告げるホイッスル。
2-2の引き分け。
ほぼ掴みかけていた切符が、手元からスルリと落ちていった。
韓国とサウジアラビアがともに勝ち、
日本は3位となり出場権を逃してしまう。
選手は愕然として、崩れ落ちるようにグラウンドに倒れこんだ。
全てを失ったかのように放心状態の者もいた。
どんな映画やドラマよりも強烈に心に響くシーンだった。
テレビ中継の画面がスタジアムからスタジオに切り替わると、
スタジオにいた解説者は喋ることができなかった。
しかし、結果とは裏腹に、サッカーを取り巻く状況は変化していた。
マスコミでの注目度は急上昇し、
今まで関心の無かった者からもサッカーの話題がでるほどになっていた。
最終戦の視聴率は、夜中にもかかわらず50%近くに達し、
中継したテレビ東京は、開局以来、最高の視聴率を記録した。
この試合によって、サッカーのおもしろさに気付き、
引きこまれていった人々が大勢いたのだ。
以後、サッカー人気は急激な盛り上がりを見せていく。
僕らもいつの間にか画面にくらいついていた。
ワールドカップが、まだ手に届くか届かないか、そんな時代だったからこそ、
みんなが同じ夢を抱き、それに共感して応援した。
それはまるで、
何かの夢に向かって必死に挑んでいく象徴であるかのように、
僕らはそこに夢を託したのだ。
ワールドカップの切符はつかめなかったが、
人々のハートはガッチリとつかんだのだ。
日本サッカーの今日の発展は、
この敗戦なくしてあり得なかったのだと、
今更ながら思えてならない。