週末の衝撃

なんてこった!
やはりこれに触れないわけにはいかないだろう。

あのマイケル・ジャクソンが米国西海岸時間6月25日の午後に急逝した。
マイケル・ジャクソンといえば、老若男女にかかわらずその名を知られた
アメリカの大物歌手だ。
今日は、ボクにとってのマイケル・ジャクソン、ということで
その思い出を語ることで追悼したい思う。

ジャクソン5の頃はあまり興味がなかったのが正直なところ。
いわゆるモータウン時代だ。
ソウルミュージックながら、少々ポップすぎるところが
あまり興味が出なかったのだろうと自己分析している。

その彼のアルバムで初めて興味を持ったのが以前ブログでも書いた
1979年にリリースされ、クインシー・ジョーンズがプロデュースした
「オフ・ザ・ウォール」だった。
参加ミュージシャンも、ラリー・カールトン、デヴィッド・フォスター、
ワー・ワー・ワトソン、パティ・オースティンなどそうそうたるメンバーだった。
ソウルミュージックという括りだけでは収まらない、アルバムの完成度もある。
当時クインシーは超売れっ子のプロデューサーとして、
実に多くのビッグネームのアーティストをプロデュースしている。
マイケルを活かしながらも、80年代のクインシーの音楽世界をも上手く表現していた。
それはソウル、R&B、ポップの程よい融合サウンド。
それだけではなく、録音という観点からも独特の音の世界を展開していた。
朝昼関係なく、自宅でも会社でもよく聴いていたな。

次のマイケルが放ったアルバムが1982年リリースの「スリラー」だ。
このアルバムでも前回に続き、クインシーがプロデューサーにクレジットされている。
特にこのアルバム中での「ビーリー・ジーン」での「ムーン・ウォーク」は衝撃だった。
時代は既にMTV真っ盛り。PVはアーティストに必須のプロモーションツールとなっていた。
その中での衝撃的な「ムーン・ウォーク」は、その後のダンスミュージックのパフォーマンスにも
多大な影響を与えたことは周知の通りだろう。
参加ミュージシャンもポール・マッカートニー、エディ・ヴァン・ヘイレン、
デヴィッド・フォスター、ラトーヤ・ジャクソン(実姉)などこれまた贅沢。
エディ・ヴァン・ヘイレンの参加は驚きだった。

そして次に来たのが、「バッド」(1987年)だ。
このアルバムでクインシーのプロデュースは最後となる。
参加ミュージシャンもスティーヴィー・ワンダー、ジミー・スミス、
サイーダ・ギャレット、スティーヴ・スティーヴンスと実に多彩だ。
この中でもジミー・スミスの参加は、え?と思うような驚きだ。

これ以降になるとボクはマイケルから興味が薄らいで行くのだけど。
1991年リリースの「デンジャラス」になるとあまり聴いた記憶がない。
ボクから見て少しポップになりすぎているからだろうか。

こう見てくると、ボクにとってはクインシーとのコラボが影響しているんだと実感する。
クインシーなくしてMJは存在しないようだ。
実際、チャカ・カーンのフューチャリングでも有名なルーファスも
クインシーのプロデュースしたアルバムがあるし、チョッパー・ベースで注目された
ブラザース・ジョンソンのアルバムもクインシーだった。

そんなマイケルがボクに置いていったものは、やはりその時々の思い出だ。
「Off the Wall」での「Don't Stop 'Til You Get Enough」や「Rock with You」、
「Thriller」での「Billie Jean」、「Thriller」など
その時々のシーンが思い出としてしっかり胸に刻まれている。
忘れかけていることでも、曲を聴くだけでその時の記憶が鮮明に蘇る。
先のアルバムたちは80年代にリリースされ、それはそのままボクの20代の記憶でもある。
そういった意味で、マイケルはボクの青春の中の一部でもあるのだ。

つくずく残念なことだと思う。
冥福を祈りたい。

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このブログ記事について

このページは、cforceが2009年6月29日 09:00に書いたブログ記事です。

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