text by 赤様
広告批評という雑誌がある。
世間に出るあらゆる広告に対して、あーだ、こーだ言う月刊誌だ。
CM好きな僕にとっては、この雑誌はたまらないもので、
毎月、発売日が楽しみだった。
それが、先日発売された最終号で、30年の幕を閉じた。
ウェブの影響もあるだろうが、
今は、本や雑誌は売れない時代なのである。
この雑誌は、
広告業界やデザイン関連に携わる人のあいだでは、
確かな認知度のあるものである。
広告は、時代を映し出す鏡であり、時代をリードする牽引車でもある。
イベントやTV番組に、歴代編集長がコメンテーターとしてよく呼ばれることでも、
そのことがわかる。
高度経済成長とともに
広告が街に氾濫し、表現も多様化し、
より個性が極まるにつれ、
本来の趣旨である「伝えること」以外の愉しみ方がでてきた。
『暮らしの視点から、あるいは大衆文化の視点からどうとらえ、
どうみんなの話題にしていくか』
編集長の挨拶が、その雑誌のサイトに出ていたが、
まさに、広告は文化になった。
まあ、でもこの際、
文化どうこうという硬い話しは置いといて・・・、
単純に、テレビを代表に、僕らの目に触れる愉しい広告は、
それだけで僕らを愉快にさせてくれる。
最終刊を迎えた最新号の誌面には、
各企業が最後を惜しむ「広告批評のため」だけの広告が掲載された。
そこには、この雑誌の読者しか目に触れない、愉快な広告があったので、
ここに紹介しよう。
※アジロ綴じの本を、しかも携帯で撮ったので見ずらいかもしれませんが・・・
これは朝日新聞の広告。
休刊を惜しむ声を、自社の紙面風に表現。
記事もこのために書かれたもので、
本物っぽくこだわって作っているところが愉しい。
紙面の写真は、初代(上)と二代目(下)の編集長だ。
こちらは「通販生活」でおなじみのカタログハウスの広告。
シンプルだが、「らしさ」が存分に漂っている。
CMのBGMに流れる口笛が頭に浮かぶようだ。
そして最後に、
白戸(ホワイト)家のお父さん。
決して「人違い」ではない。
お父さんの目からは、涙がこぼれ落ちているのがにくい演出。
この雑誌がなくなるのは残念だが、
それで愉快な広告がなくなるわけではない。
広告のひとつの役割である「良い印象」を与えるためには、
楽しさというテーマは不可欠なものだからだ。
これからも愉しい広告の出現に期待したい。