text by 赤様
鳥越俊太郎が毎日新聞からテレビ朝日のニュース番組に
抜擢されたのと同じ年の同じ月、
筑紫哲也は朝日新聞からTBSのキャスターになった。
マスコミの系列からみれば、交換トレードのようなこの状況を、
僕は当時、不思議に思っていた。
その後、鳥越が癌を患った。
治療を終え、復帰したのと同じころ、今度は筑紫が癌を患った。
何か因縁めいたものを感じた。
「逃げたら何でも恐くなる」
これは鳥越が生命保険のCMで語った言葉だが、
だから、筑紫もそれに立ち向かい、克服すると思っていた。
残念である。
僕は夜帰宅すると、久米宏のニュースステーション(以下、ステーション)や
筑紫哲也のニュース23(以下、ツースリー)を見るのが、以前の習慣だった。
ステーションは報道ステーションに変わったが、見るチャンネルは今も変わらない。
久米はザ・ベストテンのころから知っていたが、
僕が筑紫を知り興味を持ったのは、このツースリーがきっかけだった。
当時両番組、両キャスターは、何かにつけてよく比較された。
だがステーションが終わった日、筑紫は多事争論でステーションを称えた。
それが因果かわからないが、
報道ステーションが、先日、筑紫の訃報をトップニュースで伝えた。
どの媒体を通して得た情報か、ということよりも、
何を伝え今をどう捉えるか、ということが、ジャーナリズムの核ならば、
報道関係者は、皆、共同体。そんなふうにも思えてくる。
だからこそ、筑紫哲也という人間の個性が、昨今、各誌面に溢れている。
筑紫は、僕らが忘れがちな社会の見方や方向性を、
再認識させてくれた。
考えることの大切さを気付かせてくれた。
時に、考えないこと、見ぬふりをすることは、
危うい方向性を孕んでいる。
そのことは歴史が証明している。
変えようとしないこと、行動しないことによって
ある特定の方向へ流れてしまう可能性があることを警告している。
自由だから何を言ってもいいのは事実だが、
逆に自由を守るためにも何かを言わなければならないのだ。
僕は、義務と権利は一対のもので、
権利を主張するのなら義務を果たすべきだと思っている。
しかし、とかく誰もが権利ばかりを主張する現代において、
今の社会は、このバランスが崩れている気がする。
筑紫は今まで、そのことに警鐘を鳴らしていたかのように僕には思えるのだ。
清志郎が、ツースリーで ♪選挙に行こうぜ~ と歌ったりしたのも、
同じような意志があったのだろう。
社会性のある歌詞を書く彼なら、同じ方向へと向いていたのも頷ける。
でも皮肉なのは、筑紫と同じように、その清志朗も癌を患った。
順番は、清志郎の方が先なのだが。
でも、僕が筑紫に注目していた理由は他にもある。
それは文化的な事柄にも関心が高かったことだ。
文学、歴史、映画、音楽など、幅広い見識があり、
それを踏まえたうえでの斬り口が新鮮だったからだ。
ツースリーの年末恒例だった、天野祐吉との広告談義は、
CM好きの僕には特にたまらないものだった。
また、「新人類」や「元気印」という言葉を生み出したのも、
筑紫が発表した文章からだと言われる。
古くからあるものだけでなく、
若者に代表されるような新しい文化にも興味を持ち、
そこにある新たなエネルギーにも可能性を見出していたのである。
当時の若者たちが、筑紫が評するほどの元気を失っていなければ、
その中から彼に続く逸材が出てきても不思議はないだろう。
そんな新たな個性の出現を、筑紫もきっと望んでいるに違いない。