為末の決断

text by 赤様

スポーツの季節が移ろうとしている。
選手は記録を成し遂げたもの、次の道を目指すもの、リベンジを誓うもの、
それぞれが転機の時をむかえている。

先日、清原和博が引退した。
ここ数年は怪我に泣かされ、満足にプレーできなかった。
スポーツ選手には怪我がつきものとはいえ、なんとも痛々しい光景だった。
しかし、怪我や体力の低下に抗う姿勢こそ、僕たちを惹きつける要素でもある。

陸上400mハードルの為末大が、現役続行を表明した。
ここ数年、僕が最も注目しているスポーツ選手だ。
日本の陸上界では珍しくプロとして活動し、
コーチもつけず、自らの試行錯誤のみで力をつけてきた。
理論派で知られ、走る哲学者とも言われる。

その彼も膝や腰、アキレス腱に痛みを抱え、
北京後の昨今、その去就が注目されていた。
「自分がコーチなら、ここが引き際」と自身が語るほどだったが、
彼はその身体のシグナルに逆らい、
抑えきれない陸上への情熱に従うことを選んだ。

「世の中の評価よりも、自分の身体がどこまで速く走ることができるかを突き詰めてみたい。その結果身体が壊れても途中で挫折しても、それも幸せな競技人生なんだと思えるようになりました」

「今後は若い選手にも追い抜かれるかもしれませんし、せっかくもらったネームバリューも無くなっていくこともありえるでしょう。でも、もうそんなことどうでもいいんです。何より今すぐ走りたいのです」

「これからは度々負けるかもしれません。いえ、全然勝てなくなるかもしれません。それどころかすぐに身体が壊れてしまうかもしれません。それでも、勝てなくなってもいけるところまで行ってみたいのです。いまだに痛みますが、痛みと共に生きるというのも一興だと覚悟を決めました。次に引退を考えるのは足が完全に壊れたときです」

痛みが良くなる前向きな材料があるわけではないし、
もう治らないかもしれない。
だが、挑戦し続けることの歓びを見出せたこと。
それはまるで、幸せへの入口を見つけたように思えてならない。

有終の美と言われるように、まだまだ戦えるうちに去っていく選手もいる。
しかし僕は、スポーツ選手はボロボロになるまで競技を続けてほしいと考える。
好きでその競技をしているのだから、勝てなくても、高いレベルを維持できなくても、
とことん続けてほしいと思うのだ。
好きなものを奪う権利は、他の誰にもないのだから。

為末は、ときにサムライとも言われる。
まるで本物の武士の定めのように、すべてを受け入れて覚悟を決めたその生き方を、
僕は美しいと思う。

カテゴリ

月別 アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.14-ja
白黒写真カラー化サービス Coloriko - カラリコ -

このブログ記事について

このページは、cforceが2008年10月 3日 09:00に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「かぜをひきまして」です。

次のブログ記事は「この夏を振り返って」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。