先日父の引っ越しがあったのでその手伝いをした。
世田谷で弟と住んでいたのだが、建物を取り壊すということで、
この機会に僕の住む近くに引っ越すことにしたのだ。
高齢だから、近い方がこちらも何かと心配の種が減るし。
とはいえ我が家は嫁さんの親と同居なので、
何かと気を使うだろうと、同居はせずに近くのアパートにした訳だ。
引っ越しも済んで、同じアパートに住む皆さんにご挨拶を、
ということになった。
嫁さんもハンドソープなど用意してくれて、父とともに
アパート内を一軒一軒(一部屋一部屋か・・・)まわった。
お隣さんは学生とおぼしき若い男性。
感じの良い方で、「何か困ったことがあれば声かけてください」と。
他の部屋の方も何人かは同様の声をかけていただいた。
でもね、何部屋かまわっているうちに、違和感を感じたのだ。
父を除いて8世帯が入居しているそのアパートは、大半が若い人たちだ。
近くに大学もあるので、学生さんも多いようだ。
実際、まわってみてわかったけど、半数は女性だった。
そして、違和感というのはこうだ。
何人かの女性から、挨拶を断られた。
インターホン越しに、「結構です!」と。
ある方は、「顔出さないといけませんか?」という応対。
玄関のドア越しに見せたその女性は、
少々迷惑顔であった。
近頃は物騒な世の中だ。
先日も若い女性が行方不明になり、同じマンションに住む男性が
逮捕されるという事件があったばかりだ。
警戒心が強くなるのもやむを得ないと思う。
また、挨拶とはいえ、他人のプライベートな時間に
「割り込んでくる」という言い方もできるのかもしれない。
でもね・・・
引っ越したら、隣近所に挨拶するなんて、当然だと僕は思っていたのだが。
どうも最近はそうでないらしい。
昔は「向こう三軒両隣」といって、地域のコミュニティーの形成が
自然にできていたように思う。
他人の生活に首を突っ込む、という言い方もできるかもしれないが、
それが一定の秩序なり助け合いなりが自然発生して、
隣人が人知れずに病気で亡くなっていた、なんてことはそんなになかった。
どこの家が何の仕事をし、家族構成まで判っていたし。
時には醤油や味噌の貸し借りなんて、日常的な光景だったな。
それが良いとは一概に言えないけど、
少なくとも隣はひょっとして殺人鬼が住んでいるかも、なんて
妙な緊張感を持って日々暮らしているというのはやはり異常だ。
人が信じられない社会は、やっぱりどこかおかしい。
「コミュニティー」と語幹は同じ「コミュニケーション」。
ネットの「Yahoo!辞書」で見てみると、
コミュニティー【community】
居住地域を同じくし、利害をともにする共同社会。町村・都市・地方など、
生産・自治・風俗・習慣などで深い結びつきをもつ共同体。地域社会。
[類語] 社会 「大辞泉」より
コミュニケーション【communication】
1 社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと。
言語・文字・身振りなどを媒介として行われる。「—をもつ」「—の欠如」
2 動物どうしの間で行われる、身振りや音声などによる情報伝達。
「大辞泉」より
う〜む、これが苦手な人が多くなったということなんだね。
いずれにしても、コミュニティーはもう現実的じゃないのだろうか?