ドラマの中の名言

以前、ファン・ジニというドラマにハマったお話を書きました。
このドラマがなぜ面白いのか、
単に俳優がいいから? ストーリーが面白いから?
色々要因はあるんですが、先日その一番の理由にふと気づきました。

このドラマ、繰り返すことになるけど、
16世紀ごろ朝鮮王朝時代に実在した、妓生(キーセン)の
ファン・ジニ(黄真伊)の半生を採り上げたドラマです。
妓生とは当時の王宮が主催する宮中内の宴会などで、明や清の皇帝からの使者や
高官の歓待、また楽器の演奏や踊りなどを披露したりということをしていた
女性達のことです。

そのファン・ジニは、芸の道に突き進む姿勢や執念が、
常人では考えられないような域に達していて、
今時の言葉で言えば、「プロフェッショナル」や「匠」なんて
言葉が似つかわしい内容だと思います。
しかも天才肌の人物としてドラマでは描かれています。
実際には残っている資料などが少なく、伝説がいくつか残されています。
16世紀の朝鮮王朝時代にさぞかし浮いていた人物だったからこそ
色々な嘘か真かわからないようなエピソードが、
伝説のようにして残っているんだろうと思います。

さて、その引かれる理由ですが、そのドラマの中でのセリフがいいのです。

このドラマの中では、いくつかの台詞(せりふ)に
思わず納得してしまう名ぜりふともいえるものがあります。

ファン・ジニと芸の道を競うライバル関係にある、努力の人プヨンという妓生と
天才肌を感じているファン・ジニを見て、
プヨンの踊りの師匠であるメヒャンが言ったことば。
「天才は努力する秀才の心を苦しめるものだ。」
努力をしても、自分で思った域になかなか達しないことは
世の中にいくらでもあるものです。
それを天才はいとも簡単にやり遂げてしまう。(ように見える?)
本当は天才も努力をしているのかもしれませんが、
端からはそういう風には見えない。

もう一つ。
同じくメヒャンが弟子のプヨンに言った言葉。
「強いものが勝つんじゃない。勝ったものが強いのだ。」
勝つということにはいろいろな意味がありますが、
今自分に当てはめて考えても、不思議と納得させられてしまう名言です。
プレゼンに勝ち続けることで、その人の評価は上がってゆき、
デザイナーとしても信用と実力が付いてくる、というような。
今の時代、経済的なトピックスなどはこのとおりではないでしょうか。

こんな場面があります。
ファン・ジニが踊りを師匠のペンムから習っているうちに、
うまくできない足の裏の感覚をつかもうと
試行錯誤でいろいろな方法を試します。
あるときは泥の上で。あるときは飴の上で。
しかしなかなか納得できるものに行き着きません。何かちがうのです。
そこで思い立ったのが大道芸の綱渡りでした。
無理を承知で頼み込み、1ヶ月半ほど練習に入れてもらいます。
後にこのことが師匠にわかってしまいます。
師匠曰く、
「大道芸に心を奪われるようでは芸妓としては失格だ。
何か目的があったのだろう。申してみよ」
そこでファン・ジニはそうだと答えます。
師匠は続けて
「それで何がわかったか?」
ファン・ジニ曰く
「足の裏の感覚はまだわからないが、心を集中することが大切だとわかった」と。

このように、芸の道に熱心に取り組むファン・ジニを見ていると
私は仕事をしている自分の若かった頃のことを思い出すことがあります。
忙しい仕事の中、自分には時間がもう少し欲しいと思う中で
悪戦苦闘していたことを思い出すのです。
結局のところ、
ドラマの主人公と自分を比較はできないものの、
ある目的に向かって一途にいるろころに
どこかで共感を得ているんだと思うのです。

ファン・ジニが放映されていた「衛星劇場」で
ファン・ジニをクローズアップした特番があり、
そこに出演していた女性コメンテーターたちが
私と似たような感想を持ったようでした。
(それぞれの専門の仕事をしているキャリアたちでしたが。)

たかがドラマと侮れません。

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このブログ記事について

このページは、cforceが2008年5月19日 09:00に書いたブログ記事です。

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