text by 赤様
近々、僕はTVに出る。
事件を起こしたわけでも、クイズ番組に出るわけでもない。プロ野球広島カープの前田智徳選手が2000本安打まであと3本(水曜の試合終了時点)に迫っているからだ。前田と僕と、どういう関係があるのかというと、以前僕は神宮球場でグラウンドキーパーという仕事をしていた。グラウンドキーパーとは、試合中にグラウンド整備をしたり、試合前にネットなどの練習用具の準備を担当する。その仕事のひとつに怪我をした選手を担架で救護室まで運ぶこともする。1995年5月23日のヤクルト対広島戦。前田はその試合中にアキレス腱を断裂し担架で運ばれた。その担架を持っていたのが僕なのだ。
過去に他の選手が2000本安打を達成した日、夜のスポーツニュースでは、その選手のそれまでの印象的な映像を紹介してきた。2005年に野村謙二郎が2000本安打を達成したときも、そんなVTRが流された。野村が神宮で怪我をして、僕が担架で野村を運んでいる映像もそのとき流れた。
怪我をした日、前田は親しい記者と「アキレス腱に違和感がある」という会話をしていた。その声は僕らのところまで聞こえてきていた。なぜなら試合前のウォーミングアップは僕らが待機している目の前で行われるからだ。そのくらいの距離に僕らはいた。アップの間もしきりにその部分を触って気にしていた。怪我をする数時間前のことだ。
怪我は1塁に駆け込んだときに起きた。選手が倒れると、僕らは指示が出る前に担架のスタンバイし、指示が出たらその場所に走る。たいていチームのトレーナーが先にその選手を診ているので、担架が不要のときもある。が、このときは前田の表情から、事の重大さがすぐにわかった。
1塁ベースから3塁側ベンチまで50メートルほどを運んだ。僕が担架のどの部分を持って運んだのかは、もう12年も経つので記憶が曖昧だ。また、グラウンドキーパーは帽子をかぶっているので顔が見にくい。おそらくその映像がTVで流れると思うのだが、見つけられるかどうかは見てのお楽しみ。
当の前田はというと、運んでいるとき苦痛な表情を手と腕で隠していた。声は出していなかった。が、3塁のベンチに入りファンの目が届かないところに入ると、いきなり悲痛な声を出して痛がった。弱いところはファンには見せられない。そんなように思えた。前田のプロとしての在りようが垣間見えた。
ブラザー赤様です。お久しぶりです。
今実家でこのブログを見ています。小さい頃の画像を懐かしく見ました。
シスター赤様が言っていました。「赤様のピークはこの頃だったと・・・。」
随分早いピークでしたね。
ピークはとっくに過ぎているようですが、これからもがんばってください。
ps.たまには帰ってくるようにとファザーとマザーが言っていましたよ。
>ブラザー赤様
確かにあの写真はかわいい!
自分以上にかわいい!!
いや、あれは、確かに自分です。
ホントに自分かな?
撮られた記憶が無いな・・・。
2歳か3歳のころだから、あたりまえか・・・。
ま、そんなことどうでもいいです。
何があっても、前を向いて生きるのです!
過去の栄光(?!)なんて、
どうでもいいんですよ。
それにピークが1度なんて、
誰も言ってませんよ!
心のピークはこれからです(笑)。
大阪より