text by 赤様
マラソンの日本記録が塗り替えられた。
日本のマラソンは世界で3番目のレベルを誇る。
1位ケニアや2位エチオピアを懸命に追うものの、
この3強は他を大きく引き離している。
毎年埼玉県で開かれるハーフマラソンがある。
そこには箱根駅伝の常連校の選手がこぞって出場する。
ある年、その大会を視察したアメリカのランニング関係者が、
63分を切って大量にゴールする選手を見て、
あまりのレベルの高さに驚いたそうだ。
アメリカではそんなタイムでゴールする選手は、
年間で数人ほどしかいないのだと。
レベルの高さとは何だろう。
人口の多さなのか。
歴史の長さなのか。
人気なのか。。。
人口で言うなら、
たとえばサッカーの競技人口が最も多い国は、
アメリカである。
でもアメリカの成績はとても強豪と言えるものではない。
歴史の長さを考えても、
以前、強豪と言われた国がそうではなくなった例はたくさんある。
サッカーW杯の初代王者はウルグアイである。
人気はどうなのか。
日本がオリンピックで最もメダルを獲得している競技は、
体操である。
でも体操が日本で人気競技だと思っている人が、
どのくらいいるのだろうか。
ならば、どんな理由があるのだろう。
そんな思考を巡らせていると、
あるスポーツライターさんが
卓球の愛ちゃんに以前取材したときのことをラジオで語っていた。
中国ではスマッシュの種類を表す言葉が
30種類くらいあるのだそうだ、と。
彼女は、世界最高レベルを誇る中国のリーグで
戦っていた経験がある。
多くの練習を積み重ね、細かい精度を磨く毎日。
そのなかで微妙な部分を修正するために、
その違いを表わす言葉が必要になる。
スポーツをはじめ、どんな文化にも、
専門用語やニュアンスを伝える言葉がある。
微妙な違いに気づき、
レベルアップのために指導者や同僚と共有するには、
言葉が不可欠なのだ。
アバウトな言い方かもしれないが、
「文化の量」みたいなものが言葉に現れているのではないだろうか。
見分けるカギがそこにある気がしてならない。
マラソンの日本記録が塗り替えられた。
日本のマラソンは世界で3番目のレベルを誇る。
1位ケニアや2位エチオピアを懸命に追うものの、
この3強は他を大きく引き離している。
毎年埼玉県で開かれるハーフマラソンがある。
そこには箱根駅伝の常連校の選手がこぞって出場する。
ある年、その大会を視察したアメリカのランニング関係者が、
63分を切って大量にゴールする選手を見て、
あまりのレベルの高さに驚いたそうだ。
アメリカではそんなタイムでゴールする選手は、
年間で数人ほどしかいないのだと。
レベルの高さとは何だろう。
人口の多さなのか。
歴史の長さなのか。
人気なのか。。。
人口で言うなら、
たとえばサッカーの競技人口が最も多い国は、
アメリカである。
でもアメリカの成績はとても強豪と言えるものではない。
歴史の長さを考えても、
以前、強豪と言われた国がそうではなくなった例はたくさんある。
サッカーW杯の初代王者はウルグアイである。
人気はどうなのか。
日本がオリンピックで最もメダルを獲得している競技は、
体操である。
でも体操が日本で人気競技だと思っている人が、
どのくらいいるのだろうか。
ならば、どんな理由があるのだろう。
そんな思考を巡らせていると、
あるスポーツライターさんが
卓球の愛ちゃんに以前取材したときのことをラジオで語っていた。
中国ではスマッシュの種類を表す言葉が
30種類くらいあるのだそうだ、と。
彼女は、世界最高レベルを誇る中国のリーグで
戦っていた経験がある。
多くの練習を積み重ね、細かい精度を磨く毎日。
そのなかで微妙な部分を修正するために、
その違いを表わす言葉が必要になる。
スポーツをはじめ、どんな文化にも、
専門用語やニュアンスを伝える言葉がある。
微妙な違いに気づき、
レベルアップのために指導者や同僚と共有するには、
言葉が不可欠なのだ。
アバウトな言い方かもしれないが、
「文化の量」みたいなものが言葉に現れているのではないだろうか。
見分けるカギがそこにある気がしてならない。