昔は生きること自体がリスクだった

text by 赤様

1月17日で、
阪神大震災から26年が経った。

僕は震災の2か月後に現地に行く機会があって、
その町を歩いたのだが、
青いビニールシートばかりの風景を実際にみて、
あまりに酷すぎて何も言葉が出なかった。

と同時に、
僕らは、こういう地殻変動があるところに生きている
ということを自覚した。

僕らが生活しているところに地震がやってくるのではなく、
地震が起こるところに僕らが住んでいるということ。
あとさきを逆転してはいけないような気がした。

僕らが生活しやすくなっているこの場所は、
誰かが整えてくれたものだ。

建物の耐震性も、
大雨の洪水対策も、
災害が起こりそうと警告してくれるシステムも。

経済システムが整うまでは、
人間は自ら食べ物を育て、狩りをし、
暮らす場所を作らなければならなかった。

今、コロナ禍で感じることは、
医療や環境やインフラなどは、
人間が暮らしやすくするために先人が整えてきたものだ。

安心できる社会が最初からあったのではなく、
整えたのだ。

今一度、整う前に遡って、
このコロナ禍という逆境を
再考しなければならないような気がした。



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このページは、cmemberが2021年1月22日 09:00に書いたブログ記事です。

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