次元が違うと見えてくるもの

text by 赤様

「2次元の世界からは、3次元は想像できない」
子どものころ、クラスにいた秀才に、こう教えてもらった。

大雑把に言うと、
2次元とは、ベクトルが2つあるもの。
縦のベクトルと横のベクトルがあるもの。
言わゆる「面」のことである。

ちなみに、
1次元はベクトルが1つなので、
「線」という概念の世界。

0次元は、「点」の世界。

僕らが生きている現実世界は、
縦、横、高さがある3次元の世界だ。

冒頭の言葉を秀才が話したとき、
紙の上に小さな飛べない虫がいた。
その虫にとってはその紙の上が世界のすべて。
虫が動こうとする進路を、僕が邪魔をする。
虫はその紙のうえで逃げようとするが、
平面以外に逃げることができないのだ。

紙に立体の絵を描いても、立体にはならないように、
2次元の世界のなかで「高さ」を実現させることは不可能だ。
それどころか、
3つ目のベクトルが、高さなのか、他の何かなのか、
そもそも3つ目のベクトルというモノが存在するのか、しないのか、
それさえわからない。

僕らが4次元のことを推測しかできないように、
次元の低い方を考えることはできるが、
高い方へは想像ができないのである。

僕は、このことが、
知識や経験値の差と、同じように思えることがある。

知識や経験値が多い人は、
少ない人がどういう失敗に陥りそうかがわかる。

自分のレベルが上がって初めて、
あのとき自分が至らなかったのだ、ということがわかる。

僕らも日常で様々なことを経験し、失敗し、そしてそれが糧となる。

紙の上の虫で終わるか、
鳥のように物事を俯瞰して物事を見れるか、
その違いが大きいのは言うまでもない。

だから、
さらなる高みがあるかもしれないということを探り、推測し、
不透明なその場所を目指すことが大切だと僕は思う。

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このページは、cmemberが2014年7月11日 08:34に書いたブログ記事です。

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