text by 赤様
雨の降る確率が50%のときって、
雨が降るの? 降らないの? どっちなんでしょう?
実際、雨は降るか降らないかのどちらかなんですが、
そうすると、確率って何なのだろうとよく思います。
今の天気予報では、
雨だけが確率によって示されますが、
当たるかハズレるかは、天気も気温も同じこと。
でも、予報の精度を考えると、当事者としては、
ハズレにくい予報を出さざるをえなくなることもあるそうです。
直近の予報なら、わりと正確に出せるそうですが、
時間が遅くなるほどブレが大きくなるので、
幅をもって予報したい、という声を聞いたことがあります。
話しは変わって、医療の場合ですが、
今では、脳卒中になる確率を診断してもらえるらしいです。
これ、知っていましたか? 僕は知らなかったです。
血圧が高いと脳卒中になりやすいのですが、
それだけでなく、タバコの習慣とか生活習慣などの要素を加えて、
確率を出すそうです。
でもそれで、
40%とか50%とかいう数字が出ても、
どのくらいアブナイの? って思いますよね。
僕らにとっては病気になるか、ならないか。
その日、雨が降るか、降らないか。
知りたいのは、どっちなのかというところ。
しかし、これをどう捉えるかは、
どうやら情報の受け手の問題みたいです。
僕ら一般人は、
0か1かの感覚しか持っていない場合が多く、
確率って言う概念がわかっていないと言う科学者は多いらしいです。
その弊害がこのようなところに現れていて、
解釈の仕方が違った方向に反れてしまっているようです。
そうして考えると、僕らは曖昧なところを、
もっと受け入れるべきだと思うのです。
「曖昧だからこそ気を付ける、備える」という感覚。
そういうことが重要なのではないでしょうか。
予報や確率は、当たるか当たらないかではなく、
本来は注意喚起なハズです。
僕らが、そのデータをどう利用するか、なのだと僕は思います。