龍馬の妻のセリフ

text by 赤様

去る11月15日は、坂本龍馬の誕生日であり、命日でもある。
(この日付は和暦で、現行歴だとちょっと異なるらしい・・・)

ちょっと古い話しだが、龍馬と言って思い出すのは、
一昨年に放送された「龍馬伝」という大河ドラマ。
この年は、その影響もあり、
坂本龍馬という人間が大きくクローズアップされた年だった。
振り返ると、僕もこのブログで2回も取り上げている。

僕は、このドラマは見ていなかったのだが、
ザッピングをしているときに、たまたま見た1つのセリフが、
今でも強烈に印象に残っている。

江戸時代末期の1864年に長州藩と幕府側が武力衝突した
「蛤御門(はまぐりごもん)の変」という事件があった。
それは京都の市街地で起こったため、
多くの市民を巻き込み、京都の大部分が火災に見舞われる大惨事だった。

そのシーンで、のちに龍馬の妻となるお龍が、
被害に合ったときのセリフがこれだ。
「お侍さんたちは日本を守るとか異国を打ち払うとか偉そうなことを言うて・・・。
どうして私らがこんな目にあわされるの!」

単に武士や権力者の成功物語を綴るならば、
こんなセリフは、いらないのだと思う。
でも、市民の思いを入れることで、
その時代にもさまざまな人たちがいたということを、
作家は表現したかったのだと思う。

これはドラマのなかのセリフなので、
お龍が実際にこう言ったのかどうかはわからない。
ドラマを盛り上げるための脚色のひとつかもしれない。

でも、いつの時代にも歴史の本には登場しない多くの人たちが存在した。
現代でみれば、僕らもそのうちのひとりだ。

日々の生活のなかで置かれた状況に真摯に向き合い、
それぞれの意志を持って、よりよい明日を築こうとする人たちは、
どんな時代にもいたはずだ。
だから、僕はその言葉に体温を感じ、
その視点が妙に嬉しかった。

日本をどうしたい、とかいう意欲はよくわかる。
人間は、志や野心を持つべきたと思うし、
それに突き進むのも理解できる。

でも、意地や体裁ばかり気にしすぎ、
ときにそれ以外に何も見えなくなる人たちが、
ちょっと多すぎるんじゃないかと思える。
今の政治も、しかり。

僕ら一般市民と権力者との思考の乖離(かいり)は、
甚だしいことこの上ない。
何百年経てば変わるのか、何百年経っても変わらないのか。

政治の話しをすると、
もし現代に龍馬がいたら・・・、
という話しになることがある。
でも、現実離れしたスーパーヒーロー待望論よりも、
市民こそ主役、
という時代がそろそろ来てもいいのではないか。

歴史の教科書も権力争いばかりではなく、
様々な立場の人たちのことをもっと多く取り上げれば、
歴史がより身近なものになるのではないかと僕は思う。

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このページは、cmemberが2012年11月30日 08:12に書いたブログ記事です。

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