指揮者

text by 赤様

動画を紹介するテレビ番組で、
こんな動画が話題になっていると報じていた。
それはクラシックの音楽に合わせて、
3~4歳くらいの子どもが指揮者のマネをするという動画だ。

指揮のやり方を教えたワケではなく、
父親がクラシックの番組をよくみていて、
子どもが画面に映る指揮者のマネをするようになったのだそうだ。
なんともかわいらしく、微笑ましい光景だ。

聞けば、
あの大勢の演奏家を思い通りに操れる指揮者は、
やってみたいという人がかなり多いのだそうだ。
どこかの国では、
「自分は指揮者だ」とオーケストラを騙して、
詐欺罪で逮捕されたという事件があったほどだ。

でも指揮者の仕事は、
演奏会で指揮棒を振るだけではない。

曲にこめられた作曲家の思いを、
指揮者それぞれが自分なりに汲み取って、
それをいかに演奏会で表現するか。
それが指揮者の個性であり、存在理由でもある。

演奏会やリハーサルがない日も、
自宅などで常日頃から何度も何度も楽譜を読み込み、
当時の時代背景や作曲者の性格、考え方なども調べて、
その曲にこめられた思いを解釈しようとする。

その解釈を、リズムや間合いの変化、音の強弱、
そしてある部分はもの悲しく、またある部分は揚々と奏でたりして表現する。
そんな過程があるから、指揮できる曲がおのずと限られてくる。

さらに重要なのはリハーサル。
自分が解釈したものを演奏家に表現してもらわなければならない。
でも、演奏家たちにも、各々に曲への解釈はあって、
そこを両者ですり合わせながら、ひとつの曲に仕上げていくのである。

だから、同じ曲を同じオーケストラが演奏しても、
指揮者が違うだけで曲のイメージが変わってくるというワケだ。

面白いのは、あのベートーベンの「運命」を、
少し軽快な感じにする指揮者もいるらしい。
悲壮感の少ない「運命」。
なんだか僕らの固定観念とズレていて、
それでいいのか、という気さえする。

でもよく考えれば、人間の運命なんて、
悲しいことばかりじゃない。
楽しいことや、奇跡のようなドラマチックなことにも、
運命を感じることだってある。
だとしたら、そんな「運命」の解釈があってもいいはずだ。
各々が、様々に解釈していく。
それこそが音楽の自由さでもあるのだから。

冒頭の子どもも、クラシックを聴きながら、
自然と身体が動いてしまったのだろう。
そのとき、きっとその子の頭の中では、自分なりの世界が拡がっていて、
気持ちいいとか、なんだか楽しいとか、
その子なりの解釈があったはずだ。

音楽の原点は楽しむこと。
どんな曲にどんな解釈があってもいいのだが、
自分とは違う解釈に触れることで、
音楽の楽しみ方は、よりいっそう増えるのではないだろうか。

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このページは、cmemberが2012年4月 6日 08:57に書いたブログ記事です。

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