text by 赤様
話すのが上手い人と下手な人がいる。下手な人は言葉に詰まったり、ボキャブラリーが少なかったり、間が悪かったり、言葉の順序がおかしかったりする。でも、そんな人たちが意志を伝えるのに苦労しているかというと、必ずしもそうではないみたいだ。そんな人たちの中にも「あの人の話しは面白い」と言われる人だっている。
そんな人たちは、スムーズに話せないことを歯がゆく思っているかもしれないけど、話しの上手い人と比べると意外に遜色なく意志は伝わっていたりもする。いや、むしろつたない話し方だからこそ、そのときのリアルな感情が想像できたりすることだってある。なんて言ったら、話すことを生業としてる人に対して失礼か。
でも、ようやく喋れるようになった子供と話すときなんかが良い例で、滅茶苦茶な言葉使いでも子供の意思がわかったりする。そんな経験あるでしょう?
上手い人の話しは端的にストレートに伝わる。そんなことは言うまでもない。でも下手な人でも伝わるのは、その感情が生まれるときの心の動きや周りの状況を、自分の経験と照らし合わせて共感しているから? 受け手側に「聞こう」という意識を芽生えさせたりするから? そんなふうに想像していた。
なんてことを考えていたら、こんなことを耳にした。
「人間が、視覚、聴覚など五感を通して入ってくる情報のほとんどは完全な情報ではなく、受け手の人間が無意識に(時には意識的に)情報を補って解釈しているのだ」と脳科学者の茂木健一郎は言っていた。
なるほど! だからカタコトの日本語しか話せない外国人の話しがわかったりするんだね。
いろんな人といろんなことを共感できる。そんなことが心地よく感じられると、毎日楽しく過ごせるんじゃないかな。生きていくうえでの基本のひとつだと僕は思います。